仮魔女と友人(7)

 十数分ほど経っただろうか。
 ふと視線を感じて顔を上げると、机に顎を乗せたリンが、ペンを噛みながらマリアラを見ていた。リンの目の前のメモ用紙は、もう何枚か増えていた。開いた文献に左手を乗せている。

 リンは本当に綺麗な子だ、と、マリアラは思った。
 明るい茶色の髪は短い。ショートカットがリンのトレードマークだ。背も高い。なのに、絶対に男の子に間違えられたりはしない。目も瞳も大きくて、長い睫が自然なカールを描いている。眉も、顎も、額も、鼻筋もすべてが整っていて、肌の内側から光を放っているかのように綺麗だ。机の上に直接顎を乗せるという、窮屈そうな、『だらしない』と寮母に咎められそうな姿勢でも、本当に綺麗で、可愛い。

 外見だけでなく、内面までも。
 かつてのクラスメイトや友人たちは、リンとマリアラの間に友好関係が成立していたことをあまり知らない。知られると必ず、驚かれた。タイプもポジションも、全く違うからだ。
 マリアラ自身にとっても、実際のところ、自分たちの関係は謎だった。二人の間にあったのは『友情』だったのだろうか、実際のところマリアラにはそれがよくわからなかった。少なくとも、同じグループではなかった。誘い合って会うような間柄ではなかったから、自分の一方的な好意だっただろうと、孵化したマリアラのことなどリンはとっくに忘れているだろうと、ほんのついさっきまでそう思っていた。

 ずっと気にかけてくれていたことが、嬉しくてありがたくて、同時に不思議だった。
 でもリンは、今間違いなくマリアラの目の前にいて。
 ペンを噛みながら、感心しきったようにマリアラを見ている。

「……ど、どしたの?」

 訊ねるとリンは、ううん、と唸った。

「マリアラは真面目だねえ……」
「真面目」

 少しだけ、身構えずにはいられなかった。マリアラは、真面目だ、と、本当にごく幼い頃から言われ続けてきた。成長した今も、たまに言われる。字面だけ見るとほめ言葉のようだが、その実、さまざまなニュアンスが込められていた。揶揄だとか呆れだとか、諦念だとか。
 自分が真面目だということは、我ながら疑いようのない事実で、同時にひそかなコンプレックスになっていた。
 要するに、頑固で融通が利かない、四角四面で面白みがない、ということなのだ。
 でもリンは、本当に屈託が無さそうだった。心の底からマリアラを『真面目』だと思い、感嘆しているのだ、ということがよく分かる。

「それって何の勉強なの? 孵化した後も勉強するなんてさ……マリアラは偉いよ。あたし、孵化したら後はもう生涯安泰なんだと思ってたよ」

 ぎくりとした。心に秘めてきた恐れを、怯えを、見透かされたのではないかと思った。強ばりそうになった体を、なんとか動かして平静を装った。
 リンは体を起こし、マリアラの持つ単語帳を覗き込んだ。

「ちょっと見ていい? ……んー? あ、これ、薬……?」
「そ、そう。薬の効能、ちゃんと覚えておかないと……って」
「偉いねえ……」

 リンは感嘆し切った口調で言う。

「ダリアがね、あ、さっき話した同室の子ね。さっきも言ったけど、ダリアはマヌエルが好きなの。付き合う男の子はみーんなマヌエルだよ、どこで知り合うんだろうなあ……。でもダリアの彼氏たちはさ、みんなよく遊んでるよ。仕事して、遊んで、仕事して。勉強なんてしてる子の話、聞いたことない」
「きっと右巻きだからだよ」少し早口になってしまった。「右巻きは治療に携わらないから……だから」
「でもさ、右巻きには右巻きの職務が………………って、そういえば! 〈ゲーム〉ってもう、始まってんの!?」
「!!」

 マリアラは今度こそ硬直した。話題が早く終わればいいと思っていた矢先に、まさかそっちに飛び火するとは。

「は、始まって……る、の、かな……?」

 どうなのだろう、開始は、マリアラの出発より数時間後になると聞いているけれど。
 マリアラは左巻きのラクエルだ。だから、相棒は右巻きのラクエルになる。
 現在、右巻きのラクエルは三人いる、と聞いている。その三人の中で、誰が一番初めにマリアラと言葉を交わすかが競われる。それが〈ゲーム〉と言われるものだ。仮魔女試験に合わせて行われる、つまり、今、まさに行われているか、始まろうとしているか、そのどちらかだ。
 儀礼的な意味合いの強いものだ、そんなに気にすることじゃない、と、ダニエルからもララからも、〈アスタ〉からも再々言われている、のだけれど。

「全員男の子なんでしょ? いいなあー、なんか、憧れちゃうなあ、相棒の座を巡ってバトルだなんて!」

 人の気も知らず、リンはうきうきと言った。マリアラも務めて軽い口調を心がける。

「そんなんじゃないよ、ただ、誰が一番始めに言葉を交わすかって、競争するだけだよ。それにリンに言われたくないよ、幼年組の頃からいろんな男の子に取りあいされてきたでしょう」
「それとこれとは話が別だよー」

 リンはあっけらかんと言う。どう別なのだ、とマリアラは思う。
 マリアラの表情を見て、リンは雲行きの怪しさを悟ったらしい。少し身をかがめた。

「……ひょっとして、乗り気じゃない?」
「会ったことない人なんだよ。三人とも」

 我ながら、隠しようもなく、言葉が堅かった。
 ここでリンのように『ゲーム』を楽しめないところが、自分の欠点なのだろう、と、マリアラは思う。
 リンは体を起こした。

「いーじゃん、あたし、今までに何人も、会ったことない人に告白されて付き合ったよ? その内の何人かは、すごくいい人だったし、今も友達だよ? きっかけは何であれ、人と出会うのはそう悪いことじゃないでしょう。知り合ってから、すこーしずつ分かっていってもいいんじゃない?」
「……」
「大丈夫だよー。恋人にならなきゃってわけじゃないんだしさ、嫌な人だったら、仕事だけの付き合いにすればいいわけだしさ。それに、明日すぐ決めなきゃいけないってわけじゃないんでしょ」
「えっ」

 マリアラは目を見張り、リンは首を傾げた。

「聞いてないの? いや、あたしもそんな詳しく知ってるわけじゃないんだけど……ダリア情報によると、言葉を交わしたらそこでゲームは成立する、だけど、『賞品』側には後日意思確認がされるらしい。ゲームの勝者は○○さんだけど、相棒にするなら誰がいいか、誰と合いそうだったかって」
「……そうなの……?」

 初耳だ。〈アスタ〉はそんなこと、一言も言わなかった。
 リンは笑った。

「じゃあ、抜け道みたいなものなのかなあ。最初から選べるってわかってたら、真剣にゲームに取り組めなくなるかもしれないもんね。だから、そう深刻に考えなくても大丈夫だよ。気楽に取り組んでみたらどう?」
「ありがと……」

 マリアラはほっとした。心の底から。

「マリアラは昔から、いろいろ考えちゃうところがあるからさ。でも大丈夫、きっとうまくいくよ」

 リンはそう言って微笑んで、また文献に目を落とした。

「うん」

 マリアラは頷いた。リンは忙しくページをめくって、線を引いたり、メモ用紙に書き込んだりしている。マリアラも単語帳に目を落として、そして、言いそびれてしまったことに気づいた。

 なぜこんなに必死になって、薬の効能を覚えなければならないのか。
 真面目だからでも、勤勉だからでもない。
 やむにやまれぬ事情があるからだ。

「……」

 話そうとして、リンの忙しそうな様子に、もう一度口を噤んだ。リンは今大変なのだ。マリアラがお喋りに飢えていたからといって、リンをつきあわせるわけにはいかない。それにこんなことを話したって、リンにはどうしようもないことだし、ただの愚痴になってしまいそうだし。

 マリアラはまた単語帳に目を落とした。リンの剥き出しの手が、寒さに赤く染まっている。昨日、あの猛吹雪の中を送ってくれたあの人だったら、と、ふと考えた。リンの周囲の空気を暖めてあげることなどきっと簡単なのだろう。鼻の頭や頬や手の甲をこんなに真っ赤にさせずに、リンが勉強に集中できるようにしてあげることなんて、朝飯前なのだろう……

 熱い香茶を入れることにした。クッキーとチョコレートも添えることにした。
 魔力が弱いマリアラは、魔力以外のことで頑張るしかない。ハウスの壁を建てて風よけにしたらどうだろう、でもそれでは魔物の様子を見ることができなくなる。ぐるぐるぐるぐる考えて、ため息をついた。
 孵化しても、全然、成長できたような気がしない。

 昔からこうだった。様々なことをぐるぐるぐるぐる考えて、結局初めの一歩が踏み出せず、後悔したまま終わるのだ。孵化して一度『生まれ変わった』というのに、頑固な点も、意固地なくせに優柔不断な点も、直したい部分は全部そのままだ。

 その点でもリンは眩しかった。リンは本当に屈託がない。考えても仕方のないことに気を取られたりせずに、自分にとっての最善の道をすぐに見つけ出せる人だった。
 しばらく経って我に返ったリンは、香茶とお菓子をとても喜んでくれた。優しい人だと、マリアラは思った。

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