001_プロローグ(1)

 休憩所は、外から見ても混雑していた。仕方がない。まだ九月の終わりだというのに、真冬のような大吹雪が襲ってきたのだから。

 吹雪が来たら、休憩所へ逃げろ。

 幼年組の子供たちが学校でたたき込まれることのひとつだ。

 でもまさか、孵化した今も、その教えに従う事になるとは思わなかった。そう考えながら扉を開けると、ふわっと暖かな風がふきつけた。

 ほっとしながら中へ入り、靴脱ぎでブーツを脱ごうと身をかがめた、時。

 聞こえていた賑やかなおしゃべりが、すうっと止んだのに気づいた。

 顔を上げる。

 正面の机に、かつて『仲間』だった少女たちが、いた。目を丸くして、驚いている。一般人のための休憩所に仮魔女が来るなんて思っていなかったのだろう。驚いた表情が見る見る強ばり、蔑むような、取り繕うような、冷たい仮面をまとう。

 ――ああ、しまった。

 そう思った。その心の声が聞こえたかのように、三人の少女はマリアラからすっと目をそらす。暖かいはずの休憩所が急に冷え、よそよそしくなったように感じた。

 ――覚えがある、この感触。

 そう、一年前、孵化したばかりのあの時、こんな感じだった。仲が良かったはずの友人たちが、潮が引くように周囲から消えていった。もうわたしは彼女たちの『仲間』ではないのだと思い知る、寄る辺ない二日間の記憶――。

 孵化したのはわたしのせいじゃない。裏切ったわけでも、出し抜いたわけでも、抜け駆けしたわけでもない。わたしにどうすればよかったっていうの? 自分達がどんなに理不尽なことをしているか、わかってるの?

 そう言いたいのに、言えなかった。言葉が胸の奥でつっかえて、ただ、俯くことしかできなかった。

 そして今も。

 ――どうして、こんなところに来ちゃったんだろ。

 もう二度と、会うこともないと思っていたのに。

 もう二度と、彼女たちに排斥されることはないと、思っていたのに。

 もう二度と、あんな孤独を感じずに済むはずだと、思っていたのに……

 雪の降りしきる外から来た身には、休憩所はとても暖かかった。少女たちはマリアラに背を向けるようにして、ことさらに楽しげに再びおしゃべりに興じ始める。今さら引き返すのも自分の無力さを認めるようで悔しく、マリアラは意を決してブーツを脱ぎ、休憩所の中に入った。

 ――〈アスタ〉に指示された休憩所はここだから、出て行くわけにはいかないの。

 視線を合わせない彼女たちの横顔に、言い訳してしまう自分が情けない。

 休憩所の入口には、靴の汚れ落とし器と、コート乾燥機が並べておいてある。ブーツを汚れ落とし器にセットし、綺麗なスリッパを取り出して履いた。続いてコートを脱いで、マリアラは思わず息を止めた。

 コートの下は、仮魔女の制服のままだった。

 おしゃべりに興じる三人の声が一瞬途絶えた。やはり彼女たちもこちらを気にしているらしい。マリアラは唇を噛みしめ、コート乾燥機にコートを押し込んだ。

 汚れ落としはともかく、乾燥機はもはやマリアラには必要ない。

 けれど、彼女たちの前でコートを魔力で乾かす勇気はなかった。

 でもすぐに、ひそひそ、囁く声が耳に届き、泣きたくなった。乾燥機使ってるわ、必要ないくせに――そう言われたのがわかって、ああなんてわたしは弱いのだろう、と思った。どうして乾燥機を使ったりしたのだろう。これでは、コートが乾くまでここから動けない。乾燥機を使っても使わなくても、どちらにせよ彼女たちには嫌みだと思われるのだから、知らん顔して自分で乾かして、さっさと奥に行けば良かった。

 耳にふたをできればいいのに。

 ひそひそ囁く声が、聞こえなくなればいいのに。

 誰に何を言われても平気なくらい、強くなれればいいのに。

 コートが乾くまで約一分かかる。普段ならばすぐに過ぎ去る時間なのに、今日はやけに長い。マリアラは乾燥機の扉に付けられた鏡を睨んだ。

 見慣れた自分の顔が、泣き出しそうに歪んでいる。

 マリアラは平凡な少女だった。クラスの中に必ず一人はいるような、おとなしくて目立たない風貌をしている。灰色の瞳は影が薄く気弱げな印象だ。十人並み、という言葉が一番しっくりする。

 けれど亜麻色の髪だけは、長く豊かで、数少ないマリアラの自信の持てる箇所のひとつだ。膝まで届くほどの長さの髪をひとつにまとめ、真ん中を気に入った布でくるむという髪型はエスメラルダの伝統的なもののひとつで、平凡なマリアラの外見を彩っている。灰色の仮魔女の制服にも良く映える――少なくともいつもはそう思えるのに、今日はわずかな美点であるはずの髪でさえ、色あせてくすんでいるように見える。

 やっとコートが乾いた。急いで取り出して、親指大に小さく縮め、ポケットに入れた。汚れの落ちたブーツを同じように縮めてこれもポケットにしまいながら、そそくさと歩き出す。

 三人の傍から離れると、やっと息をつけるような気がする。

 おかしい、と思った。喫茶店にひとりで行くことも、町をひとりで歩くのも平気だし、全然苦にならないのに、どうしてかつての友人たちの前でひとりでいることが、こんなに辛いのだろう。

 ――はやく魔女になりたい。

 魔女になれば、この宙ぶらりんの状態から解放される。

 でも。

 万一仮魔女の最終試験に失敗して、一般学生の身分に戻されることになったら――

 そう考え、マリアラは身震いをした。考えるだけで恐ろしい。

 奥の方は人もまばらで、あいているソファもいくつかあった。窓辺のソファに席を決め、〈アスタ〉に連絡しなければ、と思う。その前に飲み物でも買おうかと自動販売機へ歩み寄る途中で、ふと、窓の外に三人のマヌエルがいるのに気づいた。

 雪かきのマヌエルが、この路地に差しかかったらしい。

 他の人たちもそれに気づいて、何人か窓辺に寄って来た。マヌエルの雪かきはとても派手で、見る分にはすごく面白い。彼らの雪かきを見るために、わざわざ外国から観光客が来るくらいだ。また同時に、猛威を奮う雪害からエスメラルダを守る、漆黒の制服を着たマヌエルたちを目にすることは、かなりの安心感をももたらしてくれる。来る日も来る日も降り続く雪と、それを溶かす漆黒の制服、町のメンテナンスをする清掃隊の青い制服は、冬のエスメラルダの風物詩だ。

 マリアラはちょうど折よく雪かきに遭遇した幸運に頬を緩めて、休憩所にいた人たちと一緒に窓の外に目をこらした。

 左巻きであるマリアラにとって、雪かきの仕事に携われる右巻きのマヌエルたちは、羨望の対象だった。一般的に、右巻きの方が左巻きよりはるかに魔力が強い。マリアラには、路地の雪を一瞬で溶かすなんてできないし、できたとしても一ブロックで疲労困憊だろう。

 彼らは若かった。まだ十代だろう。周囲を見回し、何か話し合っている。ややして、ひとりがこの休憩所に目を止めた。中の誰かを見ながら、仲間たちと一言二言言葉を交わした。

 ――雪かきじゃ、ないのかな?

 考えていると、そこに、もうひとりのマヌエルがやって来た――

 まだ明るい時間だったが、降りしきる雪はいよいよ激しさを増し、そのマヌエルの顔はよく見えなかった。けれど、背の高い人だというのはわかった。箒で飛んで来たその人が地面に降り立つと、先にいた三人がその人を取り囲んだ。

 三人は口々に何かを言い、その人に頭を下げる。その人が何かを言う前に、ひとりが押し切るように両手を合わせた。宥めるように笑い、早口で何かを言っている――

 ――あ。

 そこで気づいた。

 先にいた三人は、最後に来たあの背の高いマヌエルに、雪かきを押し付けようとしていた。

 背の高いマヌエルは、文句を言ったようだ。でも三人はそれ以上聞いていなかった。逃げ出すように走ってこの休憩所に駆け込んで来て、声を張り上げた。

「失礼しまーす!」

 若い彼らの狙いは、入り口近くでお喋りに興じていた、あの三人の少女たちだった。

「もうすぐ日暮れです! 未成年女子は女子寮まで送ってくから――」

 きゃあー、と華やかな声が上がる。マリアラは目を凝らして、雪かきを押し付けられてしまった、背の高い気の毒なマヌエルの姿を見ようとした。

 確かに、吹雪に閉ざされた休憩所で、未成年の少女は優先的にマヌエルに送ってもらえる。誰でも利用できる休憩所で夜を越すようなことになると、さまざまな弊害があるからだ。マヌエルにとって大切な仕事のひとつだろう。

 でも雪かきと、可愛い女の子を送って行く仕事とでは、どちらが楽しいかと考えると……

 損してる、と、マリアラは考えた。あのマヌエルは気の毒だ。

「いいんですかあ? まだ雪かきがあるんじゃ」

 いそいそと帰り支度をしながら少女のひとりが言い、マヌエルが笑いながら答えるのが聞こえる。

「大丈夫だよ。あいつの魔力は底無しだから」

 その時。

 歓声が上がった。マリアラも息を飲んだ。

 厚いガラス越しにもその音が聞こえた。蒸気が吹き上がり、視界が一瞬消えた。そして湧き起こった風が、鮮やかに、蒸気を吹き散らした。

 マリアラは呆気に取られた。

 この窓から見える路地や屋根や生け垣に積もった雪が、一瞬で、綺麗さっぱり消えてしまった。

「な? 言っただろ。あいつの魔力は底無しなんだ」

 少女たちをエスコートして出て行きながら、マヌエルのひとりが言うのが聞こえた。

 だから彼ひとりに雪かきを押し付けても構わないのだと、言わんばかりだった。

 と。

 背の高いマヌエルが、こちらを見た。

 黒々とした瞳がマリアラを捉えた。コートのフードを被っていたが、その髪も眉も、瞳に負けないくらい真っ黒なのが見て取れた。明らかにマリアラより年上だ。でもどことなく少年っぽい印象の若者だった。幼年組の子供達と一緒に雪の中で転げ回って遊びそうな。眉がくっきりとしていて、一本気な内心をうかがわせる。

 すぐに彼は目をそらした。少女たちを後ろに乗せた三人のマヌエルが次々と飛び立って行くのには目もくれず、彼はそのまま歩いて行った。行く先で蒸気が上がり、見る見る内に、町に覆いかぶさった雪を溶かしていく。

 ――押し付けられたのに、ちゃんと、雪かきするんだ。

 マリアラはその後ろ姿を見送りながら考えた。

 ――偉いなあ……

 自分だったら、と、考えた。不当な扱いを受けたことに、くよくよしてしまうだろう。さっき、あの三人に無視され、ひそひそ陰口を叩かれた時のように、その場から逃げ出したくなってしまうだろう。

 その背を見送りながら、マリアラは考えた。

 ――あの人は、強いなあ……。

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