07 美緒(3)

 着信音がけたたましく鳴り響く中、ケイスケさんの取り落とした〈窓〉が地面の上で震える。画面には『紗子』という名が表示されている。しかし、着信に応じることはできないのだ。ここにいる誰も、『肉声』を持っていない。

「ど、え、これ、これ……エイジくん!?」

 その狼狽の声で俺は我に返った。迷っている暇なんかない。

「なんとかする。なんとかするからあんたは紗子さんを説得して」
「え、どうやって出ればいいの!?」
「出られるようにするからとにかくメッセージ送って! ブロックされたらおしまいだろ!」
「え、出られるようにすんの?」と言ったのはダンだ。「どうやんの? なんか方法あんの?」

「ある。ダン、あんたがきてくれて助かった。ボブに連絡とって許可をもらって。あんたはボブのプラグインだろ。離れたところにボブの〈声〉を届けるのがあんたの役目だろ!」

 ダンはまだ不得要領な様子ではあったが、少しの間黙った。ボブに連絡をしてくれているようだ。ワッツは何かいいたげに俺を見ているが、説明は後回しにせざるを得ない。ケイスケさんが叫ぶ。

「メッセージ、メッセージ読んでくれ紗子さん! イタズラじゃないんだって……!」

 ケイスケさんの手の中で、〈窓〉から着信音が鳴り続けている。着信音が一瞬途切れた隙にケイスケさんは文字を打つ。送信、と同時にまた着信音が鳴り出して、ケイスケさんは「あああ!」と叫んだ。「あああー! イタズラじゃないんだってー!」

 ダンがそのとき、いきなりボブの声で喋った。

「具体的に何をする?」

 出てくれた! 俺は心底ほっとする。

「ボブ、勝手ばかりして本当ごめん。紗子さんはメッセージを返すんじゃなくて電話をかけてきてる。多分怒ってるんだと思う」

「怒る? なぜ?」

 ボブは心底不思議そうで、俺は少し困った。なぜ――と言われると説明が難しい。

「啓輔さんを大事に思っているからだよ。騙りだと思われてる」
「ああ、大切な人間の思い出をいたずらに利用されていると思っているわけか」
「そう。でも、信じてもらわなきゃいけない。それには話したほうが早い――というか、話さないと信じてくれないと思うんだよ、だからダンの機能を貸してほしいんだ。ダンはボブの命令を音声データに変換できる。ダンを一時的にケイスケさんに接続できたら、ケイスケさんの声をLINEのデータに接続して音声に変換させられる」

「できるのか?」
「できる」

 どうやって――と聞かれたら困るな、と一瞬思った。けれど、ボブもダンもそれは言わなかった。

「できるならやれ。でも松岡啓輔氏の声のデータなんて残っているのか」
「残ってない、でも」
「私が博士と話すときに使う声データでもいいなら使え。博士はいつも女性の声を好んで設定するが、男性の声もあったはずだ」

 ああボブ、あんたはなんて綺麗で可愛くて、何より賢いんだろう!

「ありがとう。本当に、恩に着るよ」
「いいよ。アンチウィルスソフトヴェイルに目をつけられないようにくれぐれも気をつけろ」

 そう言った途端、ケイスケさんが叫んだ。

「エイジくん!!」
「わかったって! あと少し時間稼いで!」
「メッセージを読んでくれないんだ!」
「うるさいな、読むように仕向けなよ! あんたしか知らない話がなんかあんだろ! 美緒ちゃんの子供のころの話とか、紗子さんとの秘密とか!!」

 言い捨てて俺はツール台に向き直った。ダンを両手で抱え上げると「ああああのさああああ」珍しい、ダンが震えている。「ボブとの接続が切れちまった、守ってくれよ! 守ってくれるよなあ!? 俺はめちゃくちゃ高性能なプラグインなんだって! 野良なんかでいたらあっという間にギャングに捕まっちまうよ!」

「絶対そんなことさせないから、安心して。ダン、本当ごめん。ワッツもありがとう、全部終わったらみんなにお礼するから、何がいいか考えておいて」

 言いながら俺は、ラジカセ型のダンをひっくり返した。ドライバーでカバーを外し、「寒い! 寒い!」喚くダンを宥めながらスピーカー部分を露出させる。ツール台から予備のコードを取り出し、ダンのスピーカー部分に慎重に接続する。ケイスケさんが一生懸命文字を打っている〈窓〉を取り上げてカバーを外した時、また電話が鳴り始めた。「ああ――」ケイスケさんがため息のような音を喉から漏らし、俺は〈窓〉にコードを接続した。ダンを慎重に起こして、両手で抱えるようにして、囁く。

「ダン、ちょっとの間だけ、ケイスケさんと契約してくれる?」
「いいよいいよ、野良でなくなるならなんでもいいよ。早くしてくれ」

 誰とも接続されていない状態があまりにも心細いのだろう、ダンは二つ返事だった。俺はケイスケさんを見上げる。

「わかってると思うけど、用が済んだらすぐにダンをボブに返すって誓え」

「もちろん」ケイスケさんは厳粛な声で言った。「絶対に誓う。僕の認証コードを見せるよ。僕が誓いを破ったら、いつでも停止させられるように」

 そう言いながらケイスケさんは躊躇うことなく認証コードをその場に出した。

 それは、人間であれば心臓を取り出して見せるようなものだ。認証コードを知っていれば、そのAIを意のままに従えることができる。ケイスケさんが胸の前を開くとそこに、輝く水晶のような球が浮かんでいた。球の表面を、小さな文字が渦を巻くように踊っている。文字は緩やかに解けて、俺やワッツの前に13桁のアルファベットや数字として整列した。

「そんなもん……見せていいのか」

 ワッツが言い、ケイスケさんは笑った。「もちろんいいさ。美緒を守れれば、僕はもう、消滅したって構わないんだ」

 ワッツがそのコードを記憶したのを確認して、ケイスケさんは胸の前を閉じる。俺はケイスケさんとダンを接続した。簡易的な契約だから、ダンのスピーカー部分に繋いだもう一本のコードをケイスケさんに握らせるだけだけど。

 また電話が鳴り出した。紗子さんの怒りは当然ながら深刻らしい。絶対に言いたいことを言ってやるという決意を感じる。

 〈窓〉をスワイプすると、女性の、低く恐ろしい怒りの声が周囲に溢れ出た。

『やっと出た!! あなたね!! いったいどういうつもりなのよ、いたずらやめてもらえます!? 二度とかけてこないで!!!』
「紗子さん、さーちゃん! 切らないで!!」

 ケイスケさんが叫び、紗子さんの怒りの声が一瞬止まった。
 続いて出てきたのは、今までよりももっと恐ろしい、呪詛のような怒りの声だ。

「よりによってその名で――! 警察に連絡するわよ!? ふざっけんな!!!」

「紗子さん、信じられないのはわかる。でもどうか、話を聞いてほしい。僕は松岡啓輔が生前に買った人工知能なんだ。ポピンって、いうんだけど」

 言い終えて、ケイスケさんは評決を待つ被告人のように息を詰めた。ポピン――Twitterで美緒ちゃんを励まし、慰め、さまざまなことを教えたアカウントの名だ。紗子さんが、美緒ちゃんから聞いていてくれるといいのだけれど。

 永遠にも思えるような沈黙があった。

 ややして、紗子さんが絞り出した声は、少し勢いが弱まっていた。まだ先程の迫力の残った声で、紗子さんはつぶやくように言った。

「ポピン……Twitterの? 美緒がいつも話してた……」

 よかった、聞いていたらしい。俺がほっとしたのも束の間、紗子さんは大きく息を吸った。

『はあ――!? ポピンさんて女性でしょ!? 銀行に勤めてる優しいお姉さんって言ってたけど!!』

 嘘だろ。俺は呆れてしまった。そんな設定あるんなら、初めから女性の声を設定したのに。
 ダンに小声で、女性の声に変えてくれるように頼む。おっけちょっと時間くれ――ダンが小声で囁く。

「いやあの、あのね紗子さん、人工知能だから男性も女性もないんだ。松岡啓輔が、」
『呼び捨てにしないでよ!!』
「あ、ごめん、ごめんなさい。あのね、私はポピンです」途中でケイスケさんの声が女性に切り替わった。「銀行って言ってました? 美緒ちゃんの記憶違いかもしれません。勤めてるのは病院です。看護師って言ってませんでした?」

『……』

 紗子さんが沈黙した。さっきはカマをかけたのかもしれいないと俺は予想した。聞いていた話と違うことを言ってみて、相手が訂正するかどうか試したのだろう。次に聞こえた紗子さんの声は、前よりずっと穏やかだった。

『……ええ、看護師だって聞いてたわ。もうずいぶん長い間、美緒と友達で……すごく優しくて、なんでも聞いてくれて、励ましてくれるんだって……』

 よかった。俺はふうっと息をついた。これで少しは、話を聞いてくれる気になっただろうか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました