06 美緒(2)

 まずやることは、ケイスケさんの古いLINEアカウントにアクセスするための〈鍵〉を準備することだ。

 準備のため、どうしても、一度タンクのところに戻らなければならない。俺はケイスケさんの位置情報コードがきちんとポケットに入っていることを確かめてから、ケイスケさんに断って、一度タンクのところに戻った。
 さっき、かなり悲壮な気持ちで別れたばかりだったので、ちょっと気恥ずかしい。

「なんだよ、もう戻ってきたのかよエイジー」

 タンクの助手席で、さっきと全然変わらない状態で、ダンが呆れたようにいう。俺はてへへと笑ってボブを探した。ボブも、さっきとあまり位置を変えていなかった。俺を見て、くすっと笑う。

「戻ってきてくれて助かったよ」

 思いがけない言葉に俺はドキッとした。「えっ?」

「ダンを連れて行ってくれ。エイジが心配だ心配だって騒ぐもんだから、うるさくてかなわない」

「な!? そんな騒いでねーよなあー!?」

 ダンが早速喚き、ワッツが「いーやお前はうるさかったよ」と返した。ダンが「ちょなんだお前裏切り者ー!」などと喚くものだから、確かにうるさくてかなわない。

「いやあの……ボブ、頼みがあるんだ。悪いんだけど、ツール台を貸してもらえないかな。美緒ちゃんの状況がよくないんだ。美緒ちゃんのママに連絡を取ることになった」

 そういうとボブは眉をひそめた。

「現実世界にあまりアクセスしないほうがいいぞ」声はいつもどおり、穏やかだった。「……あんまり深入りしすぎるなよ。何かの間違いでマルウェア認定されたらどうする」

「わかってる。気をつけるよ。誰かのアカウントを乗っ取るわけじゃないんだ、ケイスケさんが生きてた頃のアカウントがまだ残ってるんだって。IDもパスも覚えてるっていうから」

「ふうん。それならまあセーフかな。ツール台はいつものところだ。好きに使え」
「ボブ、ありがとう。恩に切るよ」
「メンテまでして返せよなー。てかさ、ミオのママが心臓発作で死んだらどうすんだよ」

 ダンがまぜっ返し、俺は肩をすくめた。

「そうなんだよね。そこが心配なんだ」
「……つーかいくらLINEのアカウントが生きてるっつったって、どうやってアクセスすんの? エイジ、そんなことまでできんの? 記憶戻ったの?」

 ワッツが訊ね、俺は、何も答えられなかった。

 記憶は戻っていない。自分が『生前』どんな人間で、何をしていたのか、そのあたりは全く思い出せない。
 でも既存のLINEアカウントにどうやってアクセスすれば良いかの方策は、はっきりわかっている。自分でも不思議だけれど、それが事実だ。

 それをなんと説明すれば良いか考えあぐねながら、タンクの後部からツール台を引きずり下ろした。

 ツール台もボブのプラグインだ。しかし、ダンやワッツのように意思表示をすることはない。えっちらおっちら運んで、助手席のそばの地面にそっと置く。ボブがやってきて、ツール台にスラスラと人差し指でサインをした。一時的に自分との接続を解除して、ツール台を俺が使えるようにしてくれたのだ。

「盗まれるなよ。野良に気をつけろ」

 真剣に言われて、俺は頷く。

「ありがとう。肝に銘じるよ。えっと、ワッツもダンも、二人とも連れてったほうがいいの?」

 正直なところワッツだけにしておきたいところだ。ワッツはボブの『目』である。ワッツを通して、ボブは状況を把握することができるし、俺たちも、ワッツに頼んで許可が下りれば、ボブやタンクの様子を見ることもできる。ワッツは自分でしゃべるがそれほどおしゃべりというわけではない。

 しかしダンは違う。ダンはボブの声をこちらに伝え、また俺たちの声をボブに伝えられる。ボブの拡張された耳と口という役割を持つ。そのせいか、ボブの100倍はしゃべる。ボブが命じないと黙らないし、たまに命じても黙らない。年がら年中喋っているのだ。

「連れてってやってくれ。うるさくてかなわない」

 ボブが言い、「うるさいってなんだよ俺」ダンはここぞとばかりに喚こうとし、俺はワッツをツール台の上に載せてから、ダンを助手席からひょいと持ち上げた。「俺はあ――」ダンの語尾が流れドップラー効果が生じるくらいの勢いで振り回し、ワッツの横に載せる。

「おいっエイジ! 物扱いすんじゃねえ、丁重に扱わんか丁重にいー」
「はいはい、行くよ行くよー」
「だから振り回すなって! エイジお前な俺をなんだと」

「しいー」俺はダンとワッツを載せたツール台に両手を添えた。「位置情報コードがずれたら困るだろ。Twitterの滝に突っ込んだらどうすんだよ。じっとしてて」
「……」

 ダンは不本意そうだったが、一度黙った。ケイスケさんのいる場所は、ここよりずっとTiwtterの滝の表面に近かったことを思い出したのだろう。ようやく降ってきた静寂にホッとして、俺はボブを振り返った。

「ボブ、ありがとう、借りていきます」
「うん」

 ボブは頷き、俺たちはようやく、ケイスケさんのところに戻る。

 

 ツール台は重くてどっしりしている。今はボブとの接続を解除されているからか、光沢が足りず、なんだかくすんで見える。

 ワッツとダンがケイスケさんと話しているうちに、俺はツール台に手を添えた。ふぉん……というような軽い音と共に、ツール台は自動的に展開を始めた。かちかち、かちかちと金属音を立てながら作業台が組み上がっていく。

 あっという間に広々としたテーブルができた。作業スペースの向こうには、紺色の天鵞絨が敷かれた箱が斜めに迫り出し、その上にさまざまなサイズのドライバー、ピンセット、精密ツールがずらっと並んでいる。拡大鏡のアームが緩やかに伸びる。テーブルの下から椅子が現れ、ライトが点灯した。

 ケイスケさんはダンとワッツを膝に抱え、脚の一本折れた椅子に座っていたが、ツール台の素晴らしさに感銘を受けたらしい。もう少し近くでみようというのか、ワッツとダンを一度おろして椅子を移動させている。

 何をすれば良いのかは、よくわかっていた。鍵を作るのだ。

 まずは鍵の材料を集めるところからだ。拡大鏡を目の前にセットし、ケイスケさんが渡してくれたアカウント情報カードをひっくり返してよく調べた。アカウントの固有情報や過去のログイン履歴、デバイス情報などをスキャンし、アカウントとデジタル空間をつなぐための識別情報を洗い出す。全てをメモし終えると、ツール台に収納されていた基盤を取り出し、鑿の形状をしたツールで、ケイスケさんのアカウント情報から取得したデジタルシグネチャを彫り込んでいく。金属のように硬い光の粒が、手の中で徐々に変形し、回転しながら輝きを増していく。徐々に鍵の輪郭が形作られていく。

「あいつさあ……」ワッツがヒソヒソと言った。「人間だった頃、いったい何者だったんだ……?」

 ヒソヒソ話は確かに俺にも聞こえていたが、意識に入ってはこなかった。

 十数分は経ったと思う。輝く美しい鍵が完成した。手の中にずっしりとした重さを持ち、わずかに光を放っている。拡大鏡越しにひっくり返してみても、どこにも瑕瑾がない。

 俺は軽く息をついて、拡大鏡を外した。

 ここまでできれば、あとはすぐだ。ツール台からもう一つの基盤を取り出し、適当に、四角い板状の〈窓〉をこしらえた。ドライバーを使ってLINEのログイン画面をそこに嵌め込む。ケイスケさんのIDとパスワードを入力すると、文字が溶け、より集まり、鍵穴が形作られた。

「ケイスケさん、これ試してみて」

「あ……ああ」

 ケイスケさんは夢から覚めたみたいに立ち上がりかけ、ダンとワッツが膝から転げ落ちそうになるのを慌てて捕まえた。「おい気をつけろや!」ダンが口汚く罵り、ケイスケさんが謝っている。まったく、どうしてボブのプラグインが、あんなに口が悪いんだろう。

 「えっとこれ……なに?」

 ケイスケさんは今受け取ったばかりの〈鍵〉を不思議そうにしげしげと見つめ、俺は、今作ったばかりの鍵穴をケイスケさんに示した。

「ここに鍵をさして回して。そしたらLINEの画面になるから」
「お前ってほんとーにごくごく普通の、ちょっと無鉄砲でちょっと甘ったれでちょっと文句が多いフツーのガキかと思ってたけど……何? 記憶を失う前は天才エンジニアだったりしたわけ?」

 ダンがそう言ったが、ケイスケさんが声をあげたのでその言葉はかき消された。

 〈窓〉が開いたのだ。

『けーすけ』と書かれた丸いアイコンが浮かんでいる。トークと書かれたアイコンをタップすると、トークルームがずらっと現れた。企業アカウントもたくさんあったが、一番上にあったトークには、『さえこ』と書かれていた。丸いアイコンには、綺麗な女性と、美緒ちゃんの笑顔が並んでいる。

「ああ……」

 ケイスケさんは震える手でそのトークをタップし、そこに書かれた文字を見た。

 そこには、たくさんの文字が並んでいた。白い、相手から来たメッセージがずらっと。ケイスケさん側の発言は、画面にはない。もうずいぶん前に送られたメッセージたち。日付は四年以上も前のものだ。

『寂しいよ……啓輔』

 最後の言葉はそれだった。ケイスケさんが死んだあと、紗子さんは、一人で美緒ちゃんを育てながら、誰にも言えない弱音や愚痴や、日々のあれこれを、ケイスケさんへのトークに吐き出していたのだろう。

『返事して』
『かなしい』
『さみしい』
『どうして置いてったの、私と美緒を…私、これから、いったいどうしたらいいの…』

「ああ……」

 ケイスケさんは顔を歪め、唇を噛み締めた。喉の奥が、ぐっと音を立てた。俺は聞こえないふりをし、ワッツも、ダンさえも、何も言わなかった。やがてケイスケさんは震えるこぶしを開き、ぽつぽつと文字をタップした。

『紗子さん。紗子さん。突然連絡してごめん。驚かせてごめん。君たちを置いて行って、ごめん』

 震える指が送信ボタンに触れ、フゥッという独特な音と共にメッセージが送信された。ケイスケさんは続けざまに文字を打った。指の動きが早まり、まるで取り憑かれたかのように踊る。

『啓輔です。信じられないのはわかるけど、どうか信じてほしい。美緒に危険が迫っている。あなたが出かけている間にあの男が美緒に接触している。どうか、美緒を守るために動いてほしい』

 独特な送信音がまた鳴った。ケイスケさんの喉の奥でまた音が鳴った。

『紗子さん、』

 その時、〈窓〉が震えた。

「あっ」

 ケイスケさんが〈窓〉を取り落とした。〈窓〉の画面が変わって、緑色の受話器のアイコンが踊っていた。

 紗子さんが、『けーすけ』宛に、電話をかけてきたのだ。

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