夜が深まるにつれ、Twitterの滝はその勢いを落とし、光量を減らした静かな流れに変わっていた。LikeやRTの光がときおり穏やかに瞬く以外は、淡い光のカーテンがゆらゆらと揺れながら降りていく。
焚き火の周りでは、談笑が続いていた。俺が集めた〈酒〉はみんなに好評で、陽気なねぎらいの声が何度もかけられた。珍しくボブもその輪の中に加わっていた。彼女は〈酒〉は口にせず、静かに微笑みながら仲間たちの話に耳を傾けていた。いつもどおり口数は少なかったが、それでも楽しそうだった。仲間たちの冗談に時折微笑む、その美しい横顔を焚き火の炎がやさしく照らす。
彼女の大きな目は、滝の光を映し、静かに輝いている。なんて綺麗なんだろうと俺は思う。彼女がいるだけで空気までが色を変えるみたいだ。
「美緒が生まれるまで……僕も何も知らなかったなあ……」
ケイスケさんが滝を見上げながらつぶやいた。滝を流れるTweetの一つが目に入ったようだった。
「何を知らなかったんだ?」
ダンが普段よりもいくぶん抑えた声で促し、ケイスケさんは滝を指差した。
「子供って……ほら、素行が悪い子供を見ると、『親の顔が見たい』って言うでしょ。僕もそう思ってたんですよね、子供の全ては、親の育て方によって決まると思ってたんですよ。……でも違った。親ってけっこう、無力なんですよねえ」
「へえ、そうなの? 親ガチャとか言うじゃん、けっこう、親の育て方にもよると思うけどねえ」
ダンが言い、ケイスケさんは頷く。
「そりゃあある程度は……でも親はね、何て言うかな。どんなにそうしたいと思ったって、良いものだけ、質の高いものだけを与えることなんてできないでしょ。どんなに望んでも、子供が雨に濡れないように四六時中守ってやるなんて不可能だ。子供の上に降る雨を止めてやるなんてできやしない。だってしょうがない、この世には、雨が降るんだから。そういう世の中なんだから」
ケイスケの視線の先で、彼にそんなことを語らせたTweetが、チカチカ光りながらゆっくりと降りていく。どんな内容だったのだろうと俺は思う。俺の場所からは、タンクの陰になって見えない。
「親にできるのは……傘やカッパを揃えて、装備を整えてやるくらい。あと、少々の雨じゃ風邪ひかない体を作るために、栄養のあるうまいもん食わせて、あったかい布団で、安心して眠らせてやるくらい。それくらいのことしかできない。子供の全てに親が関われるなんて、とんでもない思い上がりですよ」
無力さを噛み締めるようにケイスケさんは言った。
「子供の上に降る雨が、せめて……せめて少しでも……豪雨じゃありませんように、冷たすぎませんようにって、祈ることくらいしか、できやしないんです」
その言葉は、しばらくの間、夜空に漂っているようだった。
クラスメイトから酷い目に遭わされた時――美緒ちゃんのそばにいてやれなかったことを、ケイスケさんが悔やんでいることは明らかだった。それどころかケイスケさんは、美緒ちゃんに直に会って、話を聞いて、励ましてやることさえできないのだ。
そのあとは会話も途絶え、みんな思い思いにTwitterの滝を眺めていた。明日になったら、ケイスケさんは美緒ちゃんの通う学校を管轄している教育委員会に、いじめの証拠と、写真を拡散させたイジメっ子のアカウント情報を通報するはずだ。美緒ちゃんの上に降り注ぐ雨を止めてやることはできなくても。自分の手で美緒ちゃんに合羽や傘を用意してやることもできなくても。周りの大人たちに傘を渡してくれるよう頼むことはできる、というわけだ。
亡霊にしては上出来だと思うんだけど。でもそんな慰めなどなんの意味もないだろう、という気がした。人間だった頃の記憶があると、どうしても、人間だった時にはできていたはずのことを思い浮かべてしまうのかな。記憶があるのとないのと、どっちが幸せなんだろう。うとうとし始めながら俺は、そんなことを考えていた。
「起きろ」
背中を硬いものでつつかれて俺は目を覚ました。「うー……?」眩しい。瞼をこじ開けると霞んだ視界の向こうに逆さになったボブが見えた。彼女は立っている。つまり今俺の背中を突いたのは、彼女の手ではない。ブーツのつま先だ。
「……蹴んなくても……」
「起きないのが悪い」
ボブは機嫌が良いらしい。珍しく鼻歌なんか歌いながら、他のプラグインたちを起こしている。俺はようやく晴れてきた視界で、逆さになったTwitterの滝を見た。穏やかだった夜を吹き飛ばすかのように、滝は活気を取り戻し始めている。光量と密度の増したデータの流れが、朝の挨拶やさまざまなつぶやきで満たされ、キラキラと輝きながら降り注いでいる。「おはよう」「おはよー」「あー今日も仕事だー」などと言ったメッセージが、チカチカと瞬きながら流れていく。
朝は忙しい。
ボブをはじめとしたBooble社不要データ消去班は、ほとんどが、ボブのプラグインだ。ダンには手足がない、ただボブの指示をみんなに伝える機能しかないし、ワッツには『見る』という機能しかない。必然的に動き回ったり手が必要な作業を行なったりできる存在は限られている。俺がきてからワッツは大喜びだった。清掃ツールのメンテナンスやタンクのツール調整などといった面倒な作業をボブにやらせたくないんだよねーなどと言いながら好き勝手に俺をこき使う。俺はいいのかよ、と言いたい。
しかし今日はケイスケさんもいるので、大助かりだった。ケイスケさんは今、タンクにセットするエネルギーパックを交換してくれている。
「ケイスケさん、一緒に来る? ボブに聞いてみたら?」
ツール調整をしながら俺はそう訊ねた。
「AIが一緒に来てくれればすっげ助かるしさ。ワッツなんて俺のことこき使うばっかで」
「ああ〜?」とたんにワッツが凄む。「エイジ、俺様なしで調整作業、一から全部やってみっか? きちんと調整しねーとダンが酔う酔うってうるせーぞ、タンクの中で吐かれてみろよお前仕事が3倍にも増えるってわかんねーのかああん?」
「ほら、一言いうと百倍になって返ってくるしさー。なんで設計者は、『見る』ためのプラグインに、こんなおしゃべり機能つけたんだろ。ダンよりうるさいよねたまに」
「んなこと言って、俺が喋らねーと寂しいだろ〜? このツンデレさんめ」
「ワッツのポジティブさってほんと見習いたいよねー」
ケイスケさんは笑っている。俺は一応誘ってはみたものの、きっとダメだろうなとわかっていた。
ボブたち一行はTwitterの不要データを処理して回る任務がある。今んとこの担当は日本をはじめとするアジア地域だが、たまにアメリカ本社にも行く。アカウントさえあればいつでも美緒ちゃんと連絡が取れる、それは事実だったが、ケイスケさんは、奥さんのブログや美緒ちゃんのアカウントが存在するサーバーから離れたくないだろう。それくらいの想像くらいはできる。
案の定ケイスケさんは、丁重に断った。
「お誘いありがとう。でも遠慮しておくよ。……その代わりと言ってはなんだけど」
ケイスケさんが取り出したのは、一枚の、きらめくカードだった。
俺はハッとし、ワッツがピュウッと口笛を吹いた。大きさは名刺くらい。透明な、薄っぺらい板のように見えるが、光を受けると淡い虹色の反射が表面を滑り、微かなエネルギーの脈動を感じさせる。
位置情報コードだ。
「これ、持っててくれ」
ケイスケさんは、それを俺に差し出した。
俺はためらった。位置情報コードを渡すというのは、相手を深く信頼している証だ。これがあれば、俺はいつでも、たちどころに、ケイスケさんの場所に移動することができるようになる。
「俺に……いいの?」
「もちろん。必要な時はいつでも会いに来てくれ。ボブたちと一緒にいるなら滅多なことはないだろうけど」
「……子供扱い?」
あんたに心配される筋合いなんかない――と反射のように思ったが、苛立ちよりも、こそばゆさの方が勝った。
ケイスケさんは、俺を心配している。美緒ちゃんほどではなくても、俺がケイスケさんよりずっと年下で、社会に出るような年齢でもないから――だろう。
一瞬の間に、さまざまな考えが去来した。気が弱そうで、人が良さそうで、頼りなさそうに見えるケイスケさんは、その実、俺より遥かに『年上』の大人なのだと悟った。彼には人間だった頃の記憶がある。かつて社会で数々の困難に立ち向かい、自分の意思と判断で、それを乗り越えてきた自信と誇り。余裕があるから、昨日会ったばかりの俺を案じられる。美緒ちゃんのことが心配だろうに。
「……ありがと。俺のも渡しとくよ」
「いいよ、タンクの緊急連絡コード、教えてもらったからさ。何かあったらタンクに連絡するから」
「でも……」
「エイジー!」
ダンの威勢のいい声が俺の声をかき消した。耳を塞ぎたくなるような大声だ。
「エイジ! いつまで油売ってんだ! 清掃ツールのメンテ済んでねーだろ!」
「行きなよ、パックの補充はやっとくから」
「……うん。じゃーね、ケイスケさん。元気でね」
元気で、なんて言葉はAI相手にナンセンスだと思いながらも、つい言ってしまう。その言葉にケイスケはにこりと笑った。
俺はまだ喚いているダンのそばに戻った。清掃ツールのメンテナンスは結構面倒だ。だが、きちんと終えておかないと、いざという時に目詰まりを起こしてしまう。ノズルやフィルターを点検し、清掃し、破損をチェックする。内部のデータ回路に異常がないかスキャンを行い、動作テストを実施。手順が多く、集中力が要る。ダンはぶつぶつ文句を言いながら俺の仕事を見張っている。終わったらすぐに次のを押し付けようと待ち構えているのだ。
視界の隅に、ボブがケイスケさんに近づいていくのが見えた。ケイスケさんがボブに何か、低い声で話しているようだ――ワッツもそれを聞いている。なんとなく、俺のことを話しているような気がするのは、多分さっき、位置情報コードなんて重要なものをもらったせいだろう。一体何を話しているのか気にはなったが、ダンの手前、ツールのメンテに集中するしかない。
慌ただしい準備が終わり、みんながタンクに乗り込んだ。ケイスケさんだけは一人、清掃の済んだ荒野に立っていた。「じゃーな」「頑張れよ」「また会おうぜ」ワッツやダン、他のプラグインたちが口々に声をかけ、ケイスケさんははにかむように微笑んで手を振った。
ケイスケさんはボブからもらったのだろう、真新しい耐データ侵食ブーツを履いていた。あの装備が彼の『傘』になるといい。俺は小さくなっていくケイスケさんの姿を見ながら、そんなことを考えた。

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