四日目 当番(6)

 魔女はこちらの会話には一切構わなかった。魔物の周りを歩き回っていた。魔物は目を閉じて、彼女に全てを任せていた。ラルフが撃ち込んでおいた楔は全て、彼女の左手が触れただけで、まるで自ら飛び出すかのように抜けた。背後に回ったので、フェルドが後を追った。魔女が杭の根本に左手を押し当てる。フェルドが足台を引くと、ずずずずず、と杭が抜けた。魔物はさすがに呻いたが、暴れる様子がない。

 魔物には知能があると知っていた。喋ることもある。苦痛を訴えられたことも。
 痛みの感覚もあるのだとわかっていた。
 でも魔物に激痛を与えて操ることを、楔を打ち込み〈銀狼の牙〉で締め上げることを、気の毒だと思ったことはなかった。ラルフにとって魔物は違う生き物だ。動物でさえない。この世に存在していい生き物でさえないのだ。

「何でだよ」

 落ち着かない。

「そいつ、どうする気なんだよ」

 訊ねると魔女は初めてこちらを向いた。新米でお人好しで、詐欺かなんかにころっと騙されそうな風情だった彼女は、今は強い意志を持った目をしている。

「どうにかして……【毒の世界】に帰してあげるのがいいと思う」
「はあぁ?」
「入口はわかってる。【魔女ビル】の地下に連れて行けば、幸いわたしはラクエルだから、【扉】を開ける権限がある、から」
「そこまで……どーやって連れて行くの?」

 彼女は黙った。灰色の瞳が迷うように動き、それから言った。

「ラルフ、この子を捕まえたとき、小さく……なったでしょう。あれって、どうやったの……? あのバチバチなる道具を使わないと無理?」
「……」
「小さくさえなれば、なんとか隠して、こっそり、連れて行くことができるんじゃないかと……思うんだけど」

 呆れてものも言えない。ラルフは少しの間茫然としていた。
 我に返ったのは、ヒソヒソ声が聞こえてきたからだ。

 ――右巻きの方からだ。
 ――早く。
 ――早く撃て!

 まずい!
 〈毒〉が射出された。森の方、ラルフとは反対側。木立の間から黒い弾が飛来する。狩人の〈銃〉は弾丸が大きく、その分ゆっくり飛ぶように見えた。〈毒〉の固まりがフェルドに向けて飛んでくる――見えているのに、やけにゆっくりなのに、ラルフも同じくらいゆっくりとしか動けなかった。間に合わない。撃ったのはアルノルドだ。その横でクレメンスがあの嫌らしい笑いを浮かべているのが見える、
 ばしゅっ、音が遅れて響いてくる。

 ばす。
 鈍い音を立てて〈毒〉が突き刺さった。
 魔物の前足に。

 フェルドの背を覆うように、魔物が前足を突き出したのだ。

 魔物は目を怒らせて立ち上がった。体液がどばどば出たがひるむ様子はない。咆哮を上げて威嚇した。魔物の放った声は猛々しくびりびりと全身を打った。クレメンスが逃げ出し、ラルフも走り出した。まだ遠いけれど、こちらに向かってくる複数の気配を感じ取った。保護局員が来る。狩人を逃がすわけにはいかない。

「狩人が逃げたぞ――!」

 ラルフは叫んだ。保護局員の注意をできるだけ魔物から逸らさなければ、そう思っている自分に呆れていた。何やってんだ俺。何考えてんだ。保護局員は信頼できないから見つからないようにしてくれ、そう頼んだはずなのに、わざわざ自分から保護局員に協力しようと駆けだしている。その間にそのでかいのを何とか隠せよ、そんなことまで思いながら。本当に何やってんだ、どうしてしまったんだろう。我ながら意味がわからない。
 でも体が軽い。まるで羽根みたいに。
 南大島に来てからずっと、重かったのに。
 どうしてだろう。どうしてだろう。考えながらラルフは走った。

    *

 保護局員が近づいてきている。
 通報を受け、きっとララやランドやメイカと言った、右巻きのラクエルたちもこちらに向かっているはずだ。マリアラは途方に暮れた。この子を、雪山の魔物や夢で見た南大島の魔物のような目に、遭わせたくない。その切望は自分でも驚く程強い。
 でも、どうすればいいのだろう。焼却班の班長の反応を思い出すまでもなく、魔物を庇おうとするマリアラの言葉が、保護局員たちに通じるだろうか。自分だけならまだいいけれど、フェルドまで――

 ずる。
 魔物が動いた。
 動くと体液が噴き出る。マリアラは慌てて止めようとしたが、魔物はそのまま海の中に潜っていった。砂浜に、おびただしい量の魔物の血と、魔物が動いた跡が残る。
 フェルドがフィに乗った。

「あいつ頭いいな。――ルッツは?」
「……ミフが助けた。今も飛んでる。廃屋にいるって」
「了解。すぐ保護局員がくる。うまくやれよ」

 そう言ってフェルドは魔物を追って飛び立とうとする。マリアラはその背に、思わず声をかけた。

「……ごめんなさい。迷惑かけて」
「あのさ、こないだから思ってたんだけど」
「え?」
「迷惑だと思ってるならそう言うし、やらないからね俺。やりたいからやってんだ。謝られるとさ、俺が巻き込まれて渋々手伝ってるみたいになるからやめて」
「……え?」

 マリアラが理解する前に、フェルドは飛んで行ってしまった。
 魔物は海の中を泳いで、【壁】の方に向かっているようだ。あいつ頭いいな――フェルドが言った理由に初めて思い至った。あんなに大きくて“危険”な生き物を、保護局員も右巻きのラクエルたちも、見逃すはずがない。国中の保護局員が駆けつけて南大島中をしらみつぶしに探すくらいはするはずだ。
 でも海に潜った状態で、【壁】際までフェルドが追いかけ、魔物が【壁】に触って消えたと証言すれば話は別だ。【壁】に飲み込まれて消えた魔物を探す方法はどこにもない。

 考えが足りなかった。
 いくら助けたいと思っていても。フェルドに攻撃をやめてもらい、楔を抜き足台を抜いても、それは魔物を“助けた”ことにはならないのだ。ルッツの傷を治しても、彼らの境遇を変えてやることができなかったのと同じように。魔物を【毒の世界】に連れて行くための方策をきちんと考え、示さなければ、助けたいという希望など持ったって、何の役にも立たない。

 助けたいと願った当の本人に、その方策を示してもらうなんて。
 あんな大ケガで海に入ったら、傷口がとても痛むだろうに。

 ――ちゃんとした魔女って、いつか本当になれるの?

 保護局員たちが集まってきているのを感じながら、マリアラは途方に暮れていた。自分の希望の大きさと――そのために使える自分の力の卑小さと、その両方に。

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