ラルフとルッツ、それからアルノルドが立ち去ってから、少しして。
マリアラは立ち上がった。短い間に様々なことが起こりすぎて、頭がパンクしそうだった。戸口を出る前に、耳を澄ませた。森の中はすっかり静まりかえっている。
虫の声も聞こえない。この辺りはまだ、毒に支配されている。
歩き出すと、自分の立てる足音がやけに煩い。“あいつらに見つかったらあんた殺されるよ”とラルフは言った。殺す――エスメラルダ国内で、魔女を殺す。そんな人間が、この国にまだ残っているとは思えないのに。
なのにラルフの張り詰めた雰囲気と、何よりあの藍色の輝きの獰猛さが、恐ろしいほどリアルで。
ぼろぼろの衣類と靴。放置されるケガ人。死んだ方が後腐れなくていい、と幼い子供に言う男。
――いた! マリアラ、見つけたよー!
少し先に飛んでいったミフが思念を伝えてくる。ミフの視界の中にフェルドが映っている。彼は確かに“血相を変えて”いた。元の大きさに戻ったミフに気づいて、彼は動きを止めた。呻くような絞り出すような声が聞こえる。
――に、やって……!
――ごめんごめん、ちょっと色々あって。待っててね、今マリアラ連れてくるから!
ミフが戻ってくる。マリアラは足を止めて空を見上げた。申し訳ないことをした、と思った。彼は右巻きだ。そして今は“相棒”なのだから、左巻きの安全を確保しておく義務がある。“ペースメーカー”の役割もある。――そうだ。“相棒を持つ”ということは、一人で勝手な行動を取ってはいけない、ということなのだ。
二時間のうたた寝で回復した魔力も体力も、今の治療でかなり使ってしまった。今は当番日なのに。勤務中なのに。もし今【毒の世界】に落ちる人が出たら、このまま出動しなければならないのに。落ちた人を追いかけて、ケガをしていたら手当をするのがマリアラの役目だ。それに備えて、休んでおかなければならなかったのに。
マリアラが働けなかったら、それはフェルドの責任にもなる。
なのにそれを、今の今まで考えもしなかった。
はああ、とため息をつく。仮魔女期を終えて、二週間が経つ。本来ならとっくに相棒も決まって、シフトに入っていたはずの時期だ。ダスティンにはあまりの弱さに呆れられ、ジェイドには“気にしすぎない方がいい”と気を使われ、そして今日はこんな体たらくだ。
ダスティンもジェイドもフェルドも、こんな相棒なんて本当は願い下げではないだろうか。
――ちゃんとした魔女って、どうやったらなれるの?
途方に暮れそうになる。ちゃんと相棒を得て、ちゃんとシフトに入って、ちゃんと仕事をこなせる一人前の魔女。ラルフやルッツの境遇を知ってもひるまずに手を差し伸べて、その結果起こる様々な出来事に、一人できちんと責任を取ることができる魔女。
そんな存在に、いつか本当に、なれるのだろうか。
ミフがやって来た。戻りたくないなあ、とマリアラは思った。
このまま、消えてしまいたかった。
*
フェルドは休憩所の窓の外で待っていた。休憩所の灯りは全て灯され、窓の下の暗がりに座り込んだフェルドの姿は却ってよく見えない。目だけがこちらを睨んでいて、マリアラは竦んでしまいそうになる。
ラルフという名のさっきの少年よりもっと、何だか獣じみて見える。ぐるるるるるる、と唸る声が聞こえそうな目。
「……ごめんなさい……」
ミフから降りて頭を下げる。ミフも隣に並んでぴょこんと穂を下げた。フェルドは何も言わない。が、その横でフィが喚いた。
『――びっくりするだろ! 心配するだろ! どこ行ってたんだよ!』
『ご、ごめんね……?』つられたようにミフが答えた。『いやあのね、謎の子供が現れてね、血まみれでね、それで思わず』
『嘘つけー!』
『嘘じゃないんだって本当なんだって! 本当なんだって信じてよ!』
『フェルドが顔洗いに行ったほんのちょっとの間に血まみれの謎の子供がタイミング良く現れたっていうのかよ!』
『だって本当にそうなんだもん! 嘘つくんならもっとマシな嘘つくでしょ! マリアラが目を覚ましたら窓の外に血まみれの子供が立ってたんだもん本当なんだもん!』
『つーか夜の森ん中血まみれの子供がうろついてたらそれはっ』
「ホラーだな」とフェルドが言った。「平気でついて行くなよ。怖がろうよそこは」
声は怒っていなかった。マリアラは呻いた。
「ごめんなさい。大ケガに見えたの……昼間見た子だったし、走って逃げたから、追いかけて手当てしないと死んじゃうって……思って」
「…………」
沈黙が痛い。ミフもフィも黙っている。ややしてフェルドは、呻いた。
「せめて言ってからにして。心臓止まるかと思ったよ」
声が何だか、――哀しそうで。
怒っているんじゃないんだとマリアラは悟った。
傷ついたのだ。きっと。
「ごめんなさい……」
心臓が痛い。こんな相棒なんて願い下げだ。そう思われても仕方がない。
「中、戻ろう。寒いし」
よっこいしょ、と立ち上がって、フェルドはあいていた窓を閉めた。少し離れた場所にある通用口に歩いて行く。マリアラはしょんぼりと後をついていった。ラルフとルッツの話をして、相談に乗ってもらいたかった。でも、今さら何だ、と言われてしまいそうで恐ろしかった。本当に今さらだ。一時間も放ったらかしていたくせに、さんざん心配させたくせに、今さら助けて欲しいなんて虫が良すぎる。

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