初日 日勤(1)

 空から見ても、南大島の惨状は酷かった。

 仮魔女試験のあった日――雪山に魔物と狩人が乱入したあの日、グールド=ヘンリヴェントと名乗った狩人は、魔物を使って800ヘクタールもの森林を焼いた。山火事の被害は甚大だったが、人的被害は幸いそれほどではなかった。保護局員が一人刺され、ジェイド=ラクエル・マヌエルが毒に冒され、マリアラもフェルドもケガをし、リン=アリエノールは医局に入院させられて様々な検査をされる事態になったが、死者は一人も出なかった。

 ところが、南大島の被害は深刻だった。魔物は、人家の密集した繁華街に乱入したのだ。
 死者は二十五人に上った。未だ所在が確認されていない人は五人。魔物に追われて海に落ちたか、それとも――喰われたのか。逃げる際に【壁】に触ってしまったのか。色々と憶測が飛び交い、未だ結論は出ていない。

 でも、復興は着実に進んでいる。
 繁華街の洗浄が先週済み、ラクエル以外の魔女――レイエルやイリエルが南大島に立ち入れるようになったお陰で、その速度が加速している。建物の瓦礫が撤去され、修復作業が始まっている部分は活気があると言えるほどだ。しかし、町を取り囲む森のくすみは未だに酷い。火災が起きなかったのは不幸中の幸いだったが、その分、魔物の撒き散らした〈毒〉を森から取り除く作業が大変だった。この仕事はどうしてもラクエルしかできないから、マリアラの相棒選出のための研修も、もっぱらこの森の毒抜き作業に宛てられている。
 毒に汚染された森の中は静まりかえっていて、少し不気味だった。
 虫や小鳥が戻ってきて再び住み着くようになるまでに、あとどれくらいかかるのだろう。 

「先週よりずいぶん進んだよな」

 先を飛んでいるフェルドがそう言った。振り返って、指を指した。市街地の外、草原が広がっている辺り。草原の半分は灰色だが、半分は人の手の干渉を受けたことが明白にわかる焦げ茶色になっている。

「ほら、あの辺とか。やっぱ保護局員も担当できるようになったのが大きいよな。こないだのほら、ジルグ=ガストンさんが頑張ったらしいよ」
「そうなんですか?」

 マリアラはフェルドの方にミフを寄せた。上空は風が強くて声が吹き散らされてしまう。

「法律でね、毒を焼くって作業はマヌエルしかやっちゃダメだったんだ。俺も先々週から通ってるけど――装置自体はいっぱいあるんだ。でも実際に携われるのが二人とか、多くても三人で、保護局員の人たちみんな手をこまねいてる状態でね。ガストンさんが働きかけて、先週からかな、近くにマヌエルがいれば保護局員でも火炎装置を使っていいって特例がおりたんだってさ」

 森はまだ殆ど手つかずだが、浄化が進めば、ラクエル以外の魔女も入れるようになる。そうしたら浄化作業も加速度的に進むだろう。フェルドはそう言い、マリアラはホッとした。さっきまで広大に見えたくすんだ森の面積が、それほど大した広さではないように思えてくる。
 先の見えない作業を続ける中で、その負担を少しでも軽くしようと働いてくれる人がいる。その事実がもたらす効果は絶大だ。

「すごいですね」
「だよな。――左巻きの負担を軽減できる装置もあればいいのに」
「それはまあ、仕方ないですよ」

 話している内に、南大島の上空にさしかかっていた。
 南大島の魔物は、東側の森に解き放たれ、大きく孤を描くように移動して、南側から市街地に乱入していた。繁華街のただ中を破壊を撒き散らしながら縦断し、北の森に抜けている。特に北側の森の惨状が深刻だった。毒の汚染も一番酷い。

「三日月湖だ。今日はあそこからだな。司令部に行こう」
「はい」

 森の中にきらきら輝く水面が見えている。二人はそのほとりにあるはずの司令部を目指した。

   *

 司令部の近くには、魔物の亡骸がある。
 今日もまだあった。汚染を広げないよう防水布にくるまれていて、防水布でできた小山のように見える。知らない人が見たらまさか魔物の亡骸だとは思わないだろう。

 手を合わせたくなる。見るだけで胸が痛む。
 この魔物もきっと、苦しみに追い立てられるようにして、破壊と汚染を撒き散らしたのだろう。でもこの場で、魔物を悼むそぶりを大っぴらに見せられるほど、マリアラは強くはなかった。魔物を殺したのはララやメイカたち、顔見知りの右巻きのラクエルたちだ。魔物のもたらした被害の甚大さを考えたら、彼らを責める気持ちも湧かない。
 ――ただ、哀しい。

 魔物を解き放った狩人は、グールドと同じような若い男だったらしいが、【壁】の向こうに逃げたと聞いている。どうしてそんなことができたのだろう。どうして。この気の毒な生き物をあんな風に苦しめて走らせる権利が、あの人たちにあるなんて思えない。

「おはよう、マリアラ、フェルド」

 優しい声がした。司令部の方から顔見知りの二人組がにこやかに歩いてくる。
 ヒルデと、ランドという名の二人のラクエルは、ダニエルたちより年上の大先輩だ。シフトに入っているラクエルの中では一番の年長で、まとめ役のような立場にいる。

「おはようございます」

 マリアラは微笑んだ。フェルドも挨拶代わりにぺこりと頭を下げた。ヒルデは黒に近いほどの濃い色の髪をした、素敵な女性だ。週の初めに同じシフトに入る相手がこの二人だなんて、とても幸先がいい。

「魔物ね、今日、移動することになったのよ。必要な調査がやっと済んだんですって」
 ヒルデが優しい声で言い、マリアラは目を見張った。「そうなんですか?」
「ええ。……もう命が宿っていないから、死体を小さく縮めて……【毒の世界】に棄てるそうよ」

 言いながらヒルデは、優しい手つきでマリアラの腕をそっと叩いた。

「もう正式な魔女になった。それもラクエルですもの。近いうち、【毒の世界】を覗いてみるといいわ。どこに扉があるか、習っているわよね? 中に入るには許可がいるけど、扉をちょっと開けてみるくらいなら問題ないと思うわ。……〈あちら〉の時間に気をつけることだけ、忘れないでね」

「何そそのかしてんだよ。仕事でもないのにわざわざあんなとこ、覗いてみることないぜ」

 ランドが呆れている。ヒルデは微笑む。励ますような笑み。わかっているから大丈夫、と、言ってくれている気がする。
 マリアラは頷いた。

「そうですね。ありがとうございます」

 雪山であの気の毒な魔物が何をしたのか――何をしてくれたのか。報告書がそろそろできあがっているはずだから、ヒルデは、マリアラが魔物に対してどんな感情を抱いているのか、わかってくれているのかもしれない。
 ありがたい、と思う。

 司令部、と言っても、簡素な長机が一つ置いてあるだけだ。
 今日の担当者も南大島出張所の若い女性だった。ステラという名のその女性とは、この二週間ですっかり顔なじみになっている。

 今朝もステラは折りたたみ椅子に座り、連日酷使されてよれよれになってきたファイルを開いて、必要事項を書き込んでくれた。ヒルデとランドは三日月湖の北側を指示され、じゃあお昼にね、と言い置いて先に行った。ステラは丸眼鏡を押し上げながら、続いてマリアラとフェルドに地図を示して見せた。

 浄化の済んだ場所は几帳面に塗りつぶされている。ステラはまずヒルデたちの担当個所を書き込み、それから未だ塗りつぶされていない東側を示した。

「あなた方の担当は、この辺りですね。ええっと、フェルディナント――フェルディナント=ラクエル・マヌエルは、左巻きと組んでの浄化作業は初めてですね。マリアラはずっと同じ浄化作業だからそろそろ聞き飽きてると思うけど、決まりなので聞いてください。
 まず、左巻きが土壌及び樹木に働きかけて毒の排出を促します。要領は人体の毒抜きと基本的には同じ。で、出てきた〈毒〉を右巻きが焼却する。既に表面に滲み出ている〈毒〉は目視でわかりますから、それはもう、左巻きの処置を待たずにどんどん焼いちゃってください。くれぐれも、森林火災に発展しないよう気をつけて。既に保護局の調査隊が入っています、あまりに弱っているものや立ち枯れたものは焼却処分となりますが、それは保護局側で行います。しるしがつけてありますからその木は無視するように。――昨日までは焼却隊の担当、してましたよね? じゃあ要領はわかっていますね」
「はい」
「今日から一週間は左巻きのサポートが主な仕事になります。できる限り左巻きの魔力と体力を浪費しないよう、ペースメーカーも重要な任務のひとつです。浄化作業ができるのは左巻きのラクエルだけです。代わりはいません。根を詰めすぎて次の作業に影響が出ることのないように」

 言ってステラは意味ありげな視線をマリアラに投げ、マリアラは首をすくめた。フェルドはどう思ったのか、真面目に頷いた。「了解」

「昼食は十二時からです。市街地の東側に青空食堂が用意されます。今日のメニューは――」
 ステラは悪戯っぽく笑った。
「見てのお楽しみです。――行ってらっしゃい。くれぐれも、根を詰めすぎないようにね!」

 マリアラは急いで逃げ出した。指示された三日月湖の東まで、ミフに乗っていくことにする。フェルドがすぐに追いついてきて、何気ない口調で言った。

「根を詰めすぎた前例があるみたいな口ぶりだったけど」
「そうでしたか? 誰のことでしょうねー」
「まあいかにも根を詰めそうな感じではあるけど」
「誰のことでしょうかー」
「それにしたって無理があるよな」少し怒ったような声になった。「ラクエルの左巻きって、十人もいないじゃんか。たった十人で、普通のシフトもあるのに、こんな本数の木を一本一本って……」
「まあそれは、しょうがないですよね」
「しょうがない、のかなあ。やっと仮魔女期が明けたのに、初っ端からこんなハードだなんてさ。……イリエルの左巻きも入れれば、ずっと負担が減るのに」

 最後の方は独り言のようだったので、マリアラは何も言わなかった。
 三日月湖の東側は、森のくすみがかなり濃いエリアだ。

 〈毒〉が何なのか、どういう成分で構成されているのか、未だにはっきりとは解明されていない。様々な研究がなされ、論文もたくさん発表されているが、解明にはまだ何年もかかるだろうと言われている。
 しかし、わかっている部分も多い。そのひとつが、生物の持つ魔力がその伝達を助ける、という点だ。体内に魔力を多く含めば含むほど、〈毒〉の巡りも早くなる。それは、木々や草も同様だった。大地に染みこみ、根から吸収された〈毒〉が、じわじわと森を冒している。放っておけば被害は広まるばかりだ。

 もう少し魔力が強ければよかったのに。
 ずっと抱いてきたその願いは、この森に立ち向かう間に、日に日に大きくなってきている。

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