治療院の魔女(4)

  *

 ディアナの治療院は、コオミ屋から少し戻った場所にあった。
 小さな、可愛らしい建物だった。入ってすぐ待合室になっていて、受付カウンターの向こうに事務室、その隣に治療ブースが見える。

 待合室には誰もいなかった。ディアナは待合室を横切り、事務室から顔を出した女性に手を振って、マリアラを治療ブースに招き入れた。

「入って入って。今お茶入れるから」
「お……お構いなく」

 マリアラはおずおずと治療ブースに足を踏み入れた。右側に簡易ベッド、左側に机と肘掛け椅子。その向こうに丸テーブルがあり、小さな椅子が二つ。壁沿いに簡単なキッチンが見える。

 どこもかしこもきちんとしていて、とても清潔で、マリアラはディアナの目の行き届いているこの小さな治療院が、とっくに好きになっている自分に気づいた。

 かちゃかちゃと音が鳴る。ディーナが丸テーブルに茶器を用意していた。可愛らしい茶器の一揃いは、この治療院にぴったりだった。ぽってり丸い形をしていて、真っ白で、まるでクリームのようだ。優しくて甘やかで、軽やかで。

「いいでしょ、この治療院」

 ポットにお湯を注ぎながらディアナが言い、マリアラは頷いた。

「ええ。とても素敵ですね」
「でしょー」そう言ってディアナは笑った。「最近ようやく改装が済んだの。憧れだったのよね、ひとりでのんびりやる治療院……長年医局で頑張ったんだからって、ワガママ言わせてもらっちゃった」

 うふふ、と笑って、彼女は器に綺麗な色の香茶を注いだ。

「座って。どうぞ召し上がれ」
「ありがとうございます。あの、これ、何でしょうか……」

 椅子に座って、さっきコオミ屋でもらった小さな箱を見せる。ディアナはマリアラの向かいに座り、微笑んだ。「開けてみたら?」
 もちろん開けてみた。中に入っていたのは、クッキーだった。

「わあ……」

 箱は角の合わせ目を外すと平らに開く作りになっていて、そのまま紙皿代わりになった。ディアナに勧め、自分もひとつ食べた。さくっとした歯触り。アーモンド風味の、ごく軽いクッキーは、口に入れた瞬間からほろほろと消えていく。
 さっきの哀しみが、一緒にほろほろ消えていくような気がする。

「あたしはダニエルの【親】の【親】に当たるの」

 ゆっくり食べながら、ディアナはそんな話をした。

「ダニエルの【親】に当たるふたりが、今、シフトに入ってるラクエルの最年長になるの。もう紹介された? そう。だからあたしはダニエルの、いわば【祖母】って感じかな。二十年くらい前に相棒が亡くなってね」
「え――」

「不幸な事故でね、【壁】に触っちゃったのよ――いいのよ、もう二十年も前の話だもの。それ以来ずっと、医局と製薬所で仕事してきたの。だからシフトに入る子たちとはちょっと離れたところにいたんだけど、と言ってもラクエルでしょ、ラクエルは数がかなり少ないから、なんて言うか、ラクエル全員が同じ寮の仲間、みたいな感じになるのよね。だからあたしのことは、そうね、寮母みたいな感じだと思ってくれたら嬉しいわ。何かあったら訪ねてきて。絶対力になるから」
「はい」

 マリアラは微笑んだ。ディアナはホッとしたように笑った。

「やっと笑った」
「あ……」
「ふふ。あたしはダニエルから、あなたの話を聞いてた。この一年の間、ずーっとね。種明かしをしましょう、実はね、そこの窓から、あなたたちがさっき座ってたベンチが見えるのよね」

「えっ」
「だから気になってはいたの。でもあんまりお節介かなって思ったりしてて……そしたらコオミ屋から通報があったから、大変だ! と思って。……あの人たち新人だわね、よりによってコオミ屋を使うなんてね。コオミ屋は老舗だし、魔女のお得意様がすごーく多いのよ。新人魔女がサインを強制される現場なんか見たらそりゃ通報するに決まってるのに、お粗末な詐欺師さんたちだこと」

 詐欺師?
 マリアラは驚き、そして――腑に落ちた。
 なるほど、詐欺だったのか。

 確かに、マリアラはあの人たちの名前も所属もはっきりとは聞かなかった。セイラの母親だというのも、今となっては本当かどうかわからない。
 うふふ、と笑って、ディアナはお茶を飲み干した。

「今、相棒決定のための研修、やってるんだってね?」

 そこまで知っているのか。マリアラは苦笑した。

「はい。先週がダスティンとの研修で、明日からはジェイドです」
「ふうん。先週の感想は? どうだった?」

 聞かないでください。
 反射的に、そう思った。ダスティンとの研修は、滞りなく進みはしたものの、あまり思い出したい記憶でもない。

「ジェイドはいい子だから大丈夫よ。あら」

 待合室の扉が開いた音がした。隣の事務室――キッチンの前を通ってこのブースと行き来できるようになっている――から、さっきの事務員が応対に出て行く。
 と、悲鳴が上がった。

「まあ、どうしたんですか! ディアナさん、大変大変、急患です……!」
「はーい」

 ディアナはさっと立ち上がり白衣を羽織った。マリアラは慌てた。

「あ、すみません、長居してしまって――」
「ちょっと待って」

 ディアナの顔つきが変わっていた。先程の穏やかな表情がきりっと引き締まり、仕事に向かう人のそれになっている。マリアラは急いで菓子の箱を元どおり組み立て、ふたを閉めた。器をキッチンに下げる途中で、ディアナが治療ブースの扉をさっと開いた。
 そして叫んだ。

「……何やってるのあんたたちは――!」

 コオミ屋でマリアラを叱ったときに負けないほどの迫力だ。続けてディアナはずかずか歩いて行きながらマリアラに向かって声を投げた。

「悪いけど手伝ってくれない? もちろんただ働きはさせないわ、【魔女ビル】には後で申請を出すから」
「はいっ」
「――いってー! いてっ、だからっいてーってディアナさん! ちょっ」
「うるさいこのもやしっ子! 黙んなさい! 今度は何やらかしたのあんた方は!!」

 まるっきり、幼年組の子供たちを叱る寮母の口調だ。マリアラは待合室に走った。
 血の匂いがする。

「いてえんですって! 折れてんですって俺のこの黄金の右腕――いってー!」

 喚いているのは見覚えのない、ひょろりとした印象の男の人だ。ディアナの手を借りて、今、床に座り込んだところだった。
 そしてその人の隣にいるのが。

「フェルドさん!?」

 思わず声を上げる。フェルドはマリアラを見て、うわあ、という顔をした。まずいところを見られた、というような顔。

「……何でここにいるの?」
「それはこっちの台詞ですが――どうしたんですかそれ!」

 上げた声が悲鳴になってしまうほど、酷い有様だった。
 体中すり傷だらけで、上着もズボンも泥だらけだ。額を打ったのか、血が一筋頬を伝って顎にまで垂れている。ただ、彼はもうひとりの男の人よりマシだった。その人は右腕だけでなく足も折ったらしく、待合室の床に座り込んでディアナに覗き込まれている。

「いやその、ちょっと……落ちた、だけで」

 フェルドが言い、ディアナが笑顔で彼を見上げた。「どこから?」

「そ、空から」
「新しい魔法道具の実験で」

 と床に座り込んだ男の人がいい、ディアナがうふふ、と笑った。

「それはわかってるからその先をおっしゃい」
「その――画期的な道具ができたんです! 空飛ぶ絨毯ですよ、ロマンでしょう!? だから――だから痛い! 折れてる折れてるー!」
「本当に骨が折れていたらね、そんなに元気に喚けないものなの! マリアラ、悪いけどそっち頼むわ」
「はい」
「い、いや俺は、へーきだから」

 フェルドが尻込みし、思わずむっとする。どうしてこの人はいつもいつも、治療を拒もうとするのだろう。

「そんなケガのまま帰せるわけないでしょう。座って下さい。座らないならダニエルを呼びます」
「……すみません」

 ダニエルを呼ばれるよりはマシだと思ったのか、フェルドは渋々ソファに座った。上着を脱いで、シャツだけになると、むき出しになった肘にかなり深いすり傷ができていた。裂傷も見える。
 端的に言うと、血まみれだ。これのどこが“へーき”なのか、全く意味が分からない。

 とにかく止血だ。左手を翳すと、破れた血管や細胞組織が大喜びで修復を始める。そばかすと違って、手を貸すべき箇所が明白だから、悩む必要も迷う必要も全くない。

「今日は引っ越しだったんじゃないの」

 低い声でフェルドが言い、マリアラは頷いた。

「延期になりました。ルームメイトの荷物が片付かなかったんですって」

 フェルドは少し考えた。

「嘘だろ……ホントに?」
「ええ」
「……あのバカ」

 マリアラはフェルドを見た。「何ですか?」

「いやなんでも……それでどうしてディアナさんの治療院にいるの」

 またむっとした。どうしてだろう、治療を拒まれそうになったことが、かなり尾を引いている。いちゃだめなんですか、と言いたくなるのは何故だろう。
 事務員さんが持ってきてくれたタオルで血と汚れを拭き取り、次の擦り傷に移る。

「ちょっといろいろあって。どうしてフェルドさんはこのケガで、医局じゃなくてこの治療院に来たんですか」

 聞き返すとフェルドは黙った。やはり医局に行きたくないのだとマリアラは思う。
 どうしてそんなに、医局が嫌いなんだろう。

「それでイーレン、空飛ぶ絨毯がどうしたって?」

 ディアナが猫なで声を出した。イーレン、と呼ばれた男の人は我が意を得たりというように蕩々と話した。

「いやほら、箒はお客を乗せられても一人だけでしょ。どんなに頑張っても二人が限度でしょ。といって、箒が引っ張る橇タイプのものだとほら、ホバリングができないじゃないですか。空中で停止していられて大人数乗れる乗り物があれば便利じゃないですか、将来的には団体さん皆一緒に空の旅、なんてことが――」

「うん、あたしはね、あなたの研究コンセプトにはあまり興味がないのよね。とにかく空飛ぶ絨毯ができたのね」

「そう、そうなんですよ! いやほらあのね、色んな場所から要望が出されてましてね、特に花火大会などで――」

「うん、だからね、あなたの研究コンセプトも意義も今はどうでもいいのよ? とにかく、空飛ぶ絨毯のテストをフェルドに頼んで、二人で一緒にテストして、仲良く一緒に空から落ちた、と」

「いやあの絨毯の魔力網がどこで破損したかを突き止めれば次は絶対うまく――」

「だから研究はどーでもいいの! あたしはね、そんなテスト段階の乗り物を試すのに、どうしてこんなケガするほどの高度まで上がったのかを問いたいのよ! バカなの!? テスト段階なら低空飛行が基本でしょうねえバカなの!?」

「あの、フィは? 一緒じゃなかったんですか?」

 マリアラは口を出し、フェルドが呻いた。

「絨毯が、こう、落ちる途中で被さってきて、……絡まって」
「ああなるほど……。あ、後ろ向いて下さい」
「ディアナさんっ痛い! ひどい! 差別! 俺もその子に治療してもらいたい!」
「お黙りもやしっ子! あんたはねーホントにっ、どうしていつもいつもフェルドをそそのかすのどうしていつもいつもそそのかされるのフェルドも! 二人とも覚えてらっしゃい、次こんなバカなケガしてきたら医局に強制送還するからね!」
「痛いってー!!」

 イーレンというひょろっとした体型の男の人は既に半泣きだった。
 あの人はもしかして、と、マリアラは治療を続けながら考えていた。

 イーレンという名で、新作魔法道具のテストをマヌエルに頼む立場なら、あの人はきっとリズエルだ。リズエル――魔法道具制作員と呼ばれる、魔女保護局員の一部門の中でも、特に国費で魔法道具の研究開発を許された、ほんの一握りしか存在しない魔法道具の専門家だ。その中でも特に顕著な業績を挙げている有名人が、イーレンタールという名だった。一般学生だった頃から良くニュースなどで見た名前だ。

 こんな人だったとは知らなかった。ディアナにびしびし叱られているところは、まるで子供みたいだ。

「でさ、マリアラ、だよね」
 ディーナの舌鋒がゆるんだ隙に、気さくに声までかけてきた。マリアラは頷く。
「ええ、マリアラ=ラクエル・マヌエルです。初めまして」

「どもども、よろしくね。俺イーレンタール=リズエル・シフト・マヌエル。今日は引っ越しだったんじゃないの?」

 この人も自分を知っているということにマリアラは驚いた。なんだか、知らないのは自分だけみたいで変な気持ちだ。

「ええ、ルームメイトの荷物が片づかないとかで」
「はあぁ? ――もー、あいつは……いって!」
「はい後ろ向いて」
「ディアナさん冷たい……」

 ぶつぶつ言いながらイーレンタールは後ろを向いた。マリアラはまた治療に集中しながら、頭のどこかで考えた。

 ――ルームメイトの荷物が片づかない、というのは、やっぱりダニエルの方便だったらしい。

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