スタンプ集め

 そして午後。
 リンはまた、【魔女ビル】にいた。

 保護局員の横のつながりを強化するという保護局の方針は、リンの予想以上に本気だった。週に三日は関係の行事が盛り込まれている。今日は男女ふたりずつ、計四人のグループで協力しあって同じ課題をこなす、というものだったのだが。

 何の因果か、リンは昔の彼氏だと言い張る男:ヴィンセントと一緒に【魔女ビル】巡りをするはめになった。当然のごとく、もうひとりの男性はオリヴィエであり、もうひとりの女性はアイリスであった。先日の一部始終を偉い人が見ていたのに違いない、とリンは思う。絶対そうに違いない。もちろんひとりだけ遅れて仲間に加わったリンのために、できるだけ仲良くできそうな相手を選んでくれた、偉い人の心遣いだったのだろう。ありがたいことだ。女性がアイリスだったのはとても嬉しい。オリヴィエは一緒にいてとても居心地がいい相手だし、実際目の保養である。

 が、ヴィンセントだけはいただけなかった。
 端的に、正直に、包み隠さずに言えば、鬱陶しい。

「な~な~リン、電話番号教えてくれよ~」

 今はハンバーガー屋さんの行列に並んでいるので、待ち時間を幸いと、ヴィンセントは何とかリンから個人情報を引き出そうと躍起になっている。リンはつくづくうんざりしていた。こんな男に彼氏の座を許した五歳のころの自分を捕まえてこんこんと諭してやりたい。

「事務所の番号は教えたでしょ」

「いやでもやっぱ寮のがわかんねえと連絡しづらいじゃん?」
「勤務時間外に連絡する必要はないと思うわ」

「冷たッ! じゃあ無線機の!」
「個人の? 持ってない」

「じゃあ今日仕事終わったら買いに行こうぜ! 社会人なんだし、やっぱ無線機くらい持たねえとな! 俺詳しいから選んでやるよ!」
「必要ないからいらない」

「べ、便利だよ!? ――じゃあ仕事のは!? 事務所番なら無線機支給されてるだろ!」
「事務所にかけてくれれば出るって」

「そ~ゆ~ことじゃなくてえ~」
「ヴィンセント、いい加減にしろ」見かねたオリヴィエが口を出した。「嫌がってるじゃないか」

 オリヴィエは本当に気の利く人だ、とリンは思う。
 ヴィンセントは驚いたらしい。弾かれたようにオリヴィエを見、次いで、おずおずとリンに訊ねた。

「……嫌がってる?」

 呆れた。今まで分からなかったのだろうか?

「嫌がってる。もう少しで本気で嫌いになるところ」
「リンは優しいなあ」

 オリヴィエが苦笑し、ヴィンセントは傷ついたように黙った。リンはさらに苛立った。ここまで散々嫌な思いをさせられてきたのはこちらだというのに、なんであんたが傷つくんだ。

 気を取り直し、行列の消化具合を確かめた。ここは【魔女ビル】の二階で、医局の一部だ。医局関係者の控え室や休憩所がある。有名なおいしいハンバーガー屋さんが出店しているので結構混雑している。リンたちが並んでいるのもそのハンバーガー屋さんの行列で、昼時真っ盛りだということもあり、レジパネルが五台も解放されているのに、先頭のアイリスの番まであと五人。

「聞いてはいたけど、すごい混雑だね」

 アイリスに言うと、彼女は振り返って笑う。

「ここのは美味しいからね。全部焼きたて・揚げたて・作りたてがモットーだから」

 確かにこのチェーン店のハンバーガーは美味しい。それはリンも知っている。しかしさすがは【魔女ビル】というべきなのか、他の店舗に比べると客の数が段違いだ。

「それに、医局関係者や魔女やリズエルの注文は、別のルートから受けるからね。担当時間のマヌエルや医師は、いつ呼び出しが入って食べられなくなるか分からないでしょう。当然そっちが優先なんだ。一般客のレジパネルはピーク時には制限がかけられるから、混雑するのはしょうがないよ」
「……詳しいねえ。あ、そっか」

 当たり前だ。アイリスは、つい最近までこの医局に勤めていた医師なのだ。アイリスは笑い、また一歩前に進んだ。

「何食べようかな。久しぶりだし……」

 並んでいる間に配られたメニュー表を睨んで真剣に悩むアイリスに、リンは思わず微笑んだ。かなり年上なのに、この人はなんだかとても可愛いのだ。中性的な顔立ちは時として少し冷たい印象を周囲に与えるが、内面は穏やかでとても優しく可愛らしい人だ、ということは既にわかっている。

 ――この人が『あの男』だったらどうしよう。

 リンが最近同期とのイベントに出るたびに、思うのはそのことばかりだ。

 オリヴィエも、アイリスも、ヴィンセントも。みんな怪しい。オリヴィエは最近まで外国にいた。誰も彼の過去を知らない。十七歳とは思えない落ち着きと気配りで、リンのそばにするりと入り込んだ。アイリスは中性的な体と顔立ちだし、二十五歳という年齢も、『あの男』が化けるのに好都合だと思わずにはいられない。ヴィンセントは初めからあからさまにリンに近づいてきた。七歳のころ、五歳のリンと付き合っていたという口実は、記憶がないだけに怪しすぎると思ってしまう。連絡先を聞き出し、休日も一緒にいられる身分になりたいのではないだろうか、と。

 リンは悲しかった。
 アイリスもオリヴィエも、本当にいい人なのに。ヴィンセントは鬱陶しいが、実際イクスほど嫌いなわけではない。

 この先、『あの男』との対決に決着がつくまで、新たに自分に近づいて来る人に、疑いをかけずに済む日はこないのだ。もうわかっている。わかっているが、気が滅入る。

 アイリスの番がきた。アイリスはミートソースのハンバーガーと白身魚のフライのハンバーガー、フライドポテトの大きいサイズと炭酸飲料を頼んだ。リンはもっと悲しくなった。体が本当は男性のものだから食欲旺盛なんじゃないか、と、思ってしまう自分が悲しかった。

 リンだってハンバーガーふたつとポテトと飲み物くらい、普通に食べるのに。

 アイリスが精算を済ませパネルの前からどき、リンの番がきた。リンもミートソースのハンバーガーと、タマネギリングのフライとスティックチキン、飲み物とひと口ケーキを頼んだ。吐き出された番号札を受け取ってアイリスが待つ観葉植物のそばに行きながら、でも仕方がない、と思ってもいた。本気で相手しないと駄目だ、というあの人の忠告は、全く当然のものだったから。警戒しないでおめおめと『あの男』に殺されでもしたら、あの世でグールドに何をされるか分からない。

 混雑している厨房からみんなの食べ物が送り出されるまでしばらく待ち、さらに食べる場所を確保するのが一苦労だった。どこの机もいすも、ハンバーガーを堪能する人でごった返していた。四人は盆を持ってうろうろし、休憩所を抜け、階段を覗き、そこにもあふれた人が座り込んでハンバーガーに噛み付いているという状況に恐れをなして顔を見合わせた。

「困ったね」オリヴィエが全く困った様子のない涼しげな貴公子スマイルで言った。「まさか制服で階段に座り込んで食べるわけにもいかないし」

 駄目なのか、とリンは思う。リンは実際、階段が空いていたら座り込んで食べるつもりだった。でも、そうだ。今は保護局員の制服姿だ。普通の人たちの前で、みっともないことはしない方がいい。
 上を見上げ、思案する。

「……この一階上にもうひとつ休憩所があるはずよ」

 ラセミスタと初めて会った時のことを思い出す。確か三階だったはずだ。アイリスがうなずく。

「賛成。あそこならそうは混んでないだろう。医局関係者以外が休んじゃいけないなんて決まりもないはずだけど、今更なにしてるんだって、言われないといいな……」

 リンは思わず微笑んだ。確かに、医局の仕事を辞めて保護局員を目指した変わり種が、戻ってきて医局の休憩所でハンバーガーを食べていたら、知り合いにあれこれ言われるのは避けられないだろう。

 オリヴィエとヴィンセントも賛成し、四人は階段をひとつ上がった。三階の、観葉植物に囲まれた、シグルドとラセミスタとラルフと一緒に山盛りのお菓子を食べた、あの休憩所を目指す。

 そこはさすがにそれほど混んではいず、四人はようやく昼食にありついた。アイリスは年長らしく一応【魔女ビル】の見取り図を取り出し、昼食後の段取りについて話したそうなそぶりを見せたが、リンを含めた他の三人はそれどころではなかった。できたてあつあつのハンバーガーが盆の上で少しずつ冷めていくのを見守るほど切ないことはそうはない。リンは実際、先程から気が気ではなかったのだが、オリヴィエもヴィンセントもそこは同様だったらしい。広げられた見取り図には目もくれず、三人は座るや否や包み紙を取り上げて勢いよくハンバーガーにかぶりついた。

「んー!」ヴィンセントが声をあげる。「……んー! んー、あー、良かったまだあつあつだ。やっぱんまいわーこれ」

 リンもオリヴィエも無言だった。リンは必死で食べながら、ヴィンセントのプラス面をひとつ見つけた、と思っていた。食べ物への姿勢が一致するというのはリンにとっては重要な要素である。ベネットのように食い意地が張り過ぎているのは、食べ物関係のトラブルが予想されるので困るけれど、美味しい食べ物に全く興味を示さない男の人は、それはそれで悲しい。

「……」

 ヴィンセントもそれは、同様だったらしい。リンが我に返ると、ヴィンセントはリンの食べっぷりを目を細めて愛でていた。

「んまいね、これ」
「んー」

 異存はなかったのでうなずく。ヴィンセントは一瞬震え――感極まったように叫んだ。

「やっぱもう一度つきあって!」

 何でそうなるのだ。
 リンはげんなりし、とりあえず、今は食べることに専念した。美味しいハンバーガーを食べている最中に、世迷い言に付き合う余裕はないのだ。好きな人がいるから、と何度言っても聞き入れないこの厚顔さは少し見習いたいほどだ。さりとて腐っても同期なので、あまり邪険にして恨まれたりするのも怖い。

 ヴィンセントはまだ何か言おうとしたが、その寸前に、白身魚のハンバーガーのひと口を飲み込んだアイリスがぴしりと言った。

「今度その話題を勤務時間中に口にしたら解剖」

 アイリスの声は底冷えのするような本気の気配をたたえていて、リンの脳裏にも、白衣を着てメスを構えたアイリスがヴィンセントににじり寄る構図が見えた。ヴィンセントも当然、アイリスが医師だったことは知っている。ぎくりと身を強ばらせたヴィンセントを睨み、アイリスは続けた。

「脈があるならまだしも、こんなに嫌がってる相手にしつこくするのはマナー違反だ。私が数えた限り、リンは今までに十七回あんたを拒絶したよ。今は勤務時間中だ。栄養を摂取し気力を蓄えて午後からの勤務に備える重要な休憩時間だ。私としても友人が嫌がる姿を見るのはとても不快なんだ。あんたは少なくともリンと私の気力充填に重篤な悪影響を与えている」
「僕も入れて」

 オリヴィエが言い、アイリスは嗤った。

「三対一だね。わかった? リンを口説いて振られるのはあんたの勝手だけど、勤務時間外にやれ」
「勤務時間外もやめてほしい……」

 リンは思わず呟いた。ヴィンセントがしょんぼりと肩を落とす。気が済んだとばかりに再び包み紙を開いたアイリスに、リンは囁いた。

「ありがと。ごめんね」
「リンが謝ることじゃない。言っただろう、私だって、友人が困っているのを見るのは嫌なんだよ」

 いい人だなあ。リンはなんだかじーんとした。
 同期の女の子の友達ができることを諦めていたリンにとって、アイリスの存在はとても貴重だった。こんな人がいてくれたなんて、と感謝したい気持ちだった。悪目立ちしてしまったリンを排除しないでくれるだけでもありがたいのに、好意を持ってもらえるだなんて。

 今の今まで、ヴィンセントの攻撃からリンを庇おうとしたのはオリヴィエだけだった。アイリスは淡々としていて、どう思っているのか分からなかった。そんな面倒な人間関係になど係わる気はない、と思っているような気がしていた。けれど実のところ、黙って静かに怒りをためていたらしい。申し訳ないとリンは思う。アイリスに不快な思いをさせ続けていたのに、リンは自分でヴィンセントを黙らせることができなかった。

 ――『あの男』が化けているんじゃない、ということさえわかれば……!

 その思いと一緒にリンはチキンに噛み付いた。さくっとしていて肉汁がじゅわっと溢れる。ああ、くそう、とリンは思う。美味しいなあ、もう。

 四人はそこでひとしきり『栄養を摂取』した。

 栄養を摂取して体を養い、美味しさを摂取して気力を養う。医師らしい考え方だとリンは思う。骨に残ったチキンの衣を丁寧にはがして食べ終え、手をふいてデザートに移ろうとした時。

 少し離れた背後にある階段を、降りてくる足音があることには無意識に気づいていた。昼時にこの階段を使う人は結構多い。先程からも引っ切りなしに足音がしていたから、リンは気にも留めなかった。でも。

「……っと待って! おい! ちょっと――待てったら!」

 その足音を追いかけるように上から響いてきた声がジェイドのものだと気づき、

「フェルド!」

 ジェイドの声が続いて叫んだことに、リンは思わずスプーンを取り落とした。弾かれたように振り返る。観葉植物の透き間から覗く。踊り場はここからは少ししか見えなかった。ただ、そこを降りようとしていた誰かが一瞬足を止めたのはわかった。手の甲が、ちらりと覗いたのだ。

 上から、多分ジェイドが息せききって降りてくる。下で立ち止まった手の甲の持ち主は構わずに下への移動を再開しようとし、業を煮やしたらしいジェイドが、

「待て、って、のにっ!」

 叫んで、不思議な音がした。風の音、水音、それから、水のぴきぴきと凍る音。下へ行こうとしていた誰かはようやく足を止め、

「何のつもりだよ」

 フェルドの声で言った。
 リンは愕然とした。それは、確かにフェルドの声なのに。

 とても冷たくて、ジェイドへの嫌悪感を隠しようもなく含んでいる。こんな喧嘩腰のフェルドの声をリンは初めて聞いた。聞くだけで風に切り裂かれそうな気がした。

 でもジェイドは怯まなかった。

「待って、って言ってるのに待たないからだろ」
「用はねえよ」
「俺にはあるんだ」
「邪魔」

 また水音がした。氷の固まりが溶けて蒸発した音だ。ジェイドが組んだ氷の壁をフェルドがあっさり溶かしたらしい。リンはぞっとした――ガストンの声がぐるぐる脳を回る――フェルドがジェイドを攻撃したらどうしよう。姿が見えないからか、却って、フェルドの放っている威圧と嫌悪がよく分かる。周囲で舞い踊る若草色の粒子が、ジェイドに向かって牙を剥いているような。

 まるで毛を逆立てた猛獣みたいだ。

「ただ言っておきたいだけだよ」

 ジェイドの声は全く怯まない。フェルドの足音は構わずに移動を再開した。ジェイドの声がそれを追いかける。

「あの子には俺がついてるから心配ない。……って、だけ」

 どういう意味だろう。
 リンは戸惑う。フェルドは答えない。たんたんたん、と足音が響く。ジェイドはもう追いかけず、その場に佇んでいるようだ。ジェイドは何を言ったのだろう。フェルドに何を伝えたかったのだろう。胸がザワザワする。

 一階下に降り立ったフェルドが、冷たい、何か嘲笑うような声で言った。

「意味わかんねえよ」

 沈黙が落ちた。

 リンはそのまましばらく動けなかった。フェルドが変わった、と言った、ガストンの沈鬱な声。本当だ。本当に変わっている。雪山でみんなを助け、肉団子のシチューを作ってくれた、あの気のいいフェルドの面影が、声からすっぽり抜け落ちていた。

 でも、いつから? グールドの事件の時のフェルドは、あんな風じゃなかった気がするのに。
 こないだのパン屋さんのときは、どうだったのだろう?

「リン」

 ヴィンセントが言う。聞こえていたが、まだ動けなかった。ヴィンセントがリンの肩に手をかけた。

「リン、リン、リン、ってば! おい! こっち見ろ、リン=アリエノール!」
「……うるさいな、もうっ!」

 リンはようやく硬直を振りほどいて、ついでにヴィンセントの手も振りほどいた。ヴィンセントは叩かれた手を振って、顔をしかめる。

「さっきから呼んでんだろー。食わねえの、それ」
「食べるよ、やめてよ」

 ヴィンセントが取り上げようとしたひと口ケーキを確保して、リンはテーブルに落としていたスプーンを拾い上げ、ケーキに突き刺した。ケーキと言っても、実際はカップに入ったムースだった。上にカシスのソースがたっぷりかかっている。ひと口食べるとソースは結構酸っぱく、ムースの甘さとあいまってかなり美味しい。

「それで午後からの計画だけどさ」

 ヴィンセントはとっくに食べ終わっていた。アイリスの広げていた見取り図をのぞき込む。

「【魔女ビル】一階ごとにひとつ隠されたスタンプを集めるわけだろ。今、まだ二つだけだ。タイムリミットの四時までに、残り十八個も集めなきゃなんない。そこでだ」
「却下」

 アイリスがすげなく言い、ヴィンセントはのけぞる。

「早えよ、なんでだよ!」
「二手に分かれよう、男女組がバランスいいだろう、俺はリンと組む。ってとこまで聞こえた」
「僕も」

 オリヴィエが笑い、図星だったらしいヴィンセントはぐっと詰まる。リンも苦笑しないではいられなかった。

「……でも二手に分かれるのはいい考えだね。あたしアイリスとがいいな。だってほら、魔女の私室の階も範囲に入ってるよ。十代女子の私室エリアに男性が踏み込むのはどうかと思うし、男女別の方が、効率いいと思わない?」
「賛成」

 アイリスが軽く手を挙げる。ヴィンセントは何とか反論しようとしたようだが、オリヴィエも賛成して、話はそれで決まってしまった。三時半にまたここで落ち合うことを決め、下層の探索が担当になったオリヴィエとヴィンセントが盆を返すことになった。包み紙をひとまとめにし、氷を集めてカップを積み重ねていると、顔を上げたオリヴィエがリンに訊ねた。

「さっきからそこで所在無げにしてるマヌエルはリンの友達?」
「えっ」

 振り返ると、階段の踊り場のところにジェイドがいた。声をかけようかどうしようか、だいぶ悩んでいたらしい。行き交う人々の流れを避けて縮こまっている。リンは嬉しくなった。ヴィンセントがリンの名を連呼したから、ジェイドにリンがここにいることがわかったのだろう。そのまま行ってしまうことだってできたのに、そうしないでくれたことが嬉しかった。観葉植物を回って、リンはいそいそとジェイドのところへ行く。

「こんにちは、ジェイド。今は休憩なの?」
「うん」

 ジェイドは恥ずかしそうに微笑んだ。

「通りかかったら、リンの名前が聞こえたから」ジェイドは観葉植物の向こうへ軽く会釈をした。「――同期の人達? ヴェルディスさん、ほんとに保護局に入ったんだね」
「えっ、知り合い?」

リンはアイリスを振り返った。彼女は机の上に広げた見取り図を見ながら何か思案しているようだったが、リンの視線に気づいたか顔をあげ、笑顔でひらひらと手を振ってくれた。ジェイドがぺこりと会釈している。

「うん、何度か医局から薬、運んだりしたから……すごいなあ、医師やめて保護局に入り直すなんてね」
「ほんとすごいよねえ……」
「すごくいい人だよね」
「うん、ほんと。今ね、【魔女ビル】の中に隠されたスタンプを集めるって研修中なんだ。帰ったら、【魔女ビル】内の配置についてテストが出されるから、周りもよく見とかなきゃいけないし、結構大変なの」
「でも、皆でスタンプを集めるって何だか楽しそうだね。良かった」

 優しく微笑まれてリンはどきりとする。「え?」

「いや、二回出遅れたから、グレゴリーが心配してたんだよ。でも大丈夫そうだよって、伝えておくね」
「わあ――ありがとう。近々荷運びがあるの?」
「うん、明日の午前中」

 ついてる、とリンは思った。

「あの、あたし、明日の午前中は事務所にいるよ。もし、もし、良かったら、お昼一緒にどうかな、あの――あのお店に、行きたくて」
「いいよ。荷運びの後は、一時まであいてる」

 リンは天にも昇る気持ちで、じゃあ、と手を振って離れて行くジェイドの背を見送った。有頂天、と言っても良かった。でもすぐに我に返った。しまった、今は、勤務時間中なのだ!

「ご、ごめん。つい話し込んじゃって」

 慌てて駆け戻る。盆は既に綺麗に片付けられていて、三人はスタンプを押す台紙をより分けていた。既に一階と二階は集め終えているので、三階から十一階までがオリヴィエとヴィンセント、十二階から二十階までがアイリスとリンの担当だ。構わないよ、と言ったアイリスは笑顔だった。

「今は休憩時間中だしね」
「さっきの台詞と随分違うじゃん……」

 ヴィンセントがぶつぶつ言い、アイリスは笑う。

「相手と周囲の気力を損なわなきゃ何したっていいさ。でも、そろそろ行こうか。早く取り掛かれば余裕をもってできるからね」

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