この世には魔女とか一般人とか関係なく、巧い子とダメな子が存在している、とラセミスタは思っている。巧い子は世間の流れに巧く乗っていける人たちだ。色々とアクシデントは起こっても、それを、持ち前の機転や経験や運などで、巧く乗り切っていける。
でもダメな子はそれができない。運が悪かったり間が悪かったり、どういう表情をすれば正解なのかがすぐわからなかったりして、回りの流れから取り残されたり振り落とされてしまったりする。ずっと、マリアラも“巧い子”なのだろうと思っていたけれど――それは間違いだったのだろうか。
魔力が弱いからと言って、皆がこんな目に遭うことはないはずだ。弱くても巧くやっていける子は存在して、それが大多数だ。ジェシカに逆らわないで、長いものに巻かれることができたら。明日があるからと途中で辞退することができたら。そこで“負け犬”だと嘲笑されても、それを受け流すことができたら。
部屋で倒れ込んで、六時間も床で寝て、ラセミスタなんかの前でしくしく泣かなくても良かったはずだ。
ラセミスタは立ち上がった。どうしよう、と思った。
頼まれてしまった。だからダニエルにもフェルドにも頼めない。といって、彼女の望みのままに放っておくわけにもいかない。明日の朝、元気に動き回れるなんて奇跡が起こるはずがない。もしそんなことが起こったら、【魔女ビル】中の医師たちがこぞって彼女を解剖したがる程の突然変異だ。
奇跡なんか起こらない。
そして起こらなかったら、どうなる?
彼女が仕事に行けなかったら、ジェシカは大喜びする。きっと皆に吹聴する。やっぱり身の程知らずだったのだと。それから直前のシフト変更でラクエルみんなに迷惑をかけることになる。フェルドは怒りはしないだろうが、困惑はするだろう。どうして昨日のうちに魔力回復剤を飲むかツィスを支給してもらわなかったのか――ダニエルもそうだし、立場上、叱らないわけにはいかない。
マリアラには全部、大打撃だ。
何とかしてあげなければ。
ラセミスタは部屋を出て、歩き出した。ダニエルとララとフェルドに頼るのが無理なら――
何も考えずに階段を上った。それから思い至って階段の隅っこで端末を操作し、ラクエルのシフト表を呼び出した。〈アスタ〉のデータでは、目当ての人物は明日は非番だ。と言うことは、出動さえしていなければ、今は二十階のマヌエル詰所にいるはずだ。
行こう。
奇跡を起こしてあげなければ。
*
そこまでは良かった。
ラセミスタは非常時のせいで、自分が普通にマリアラと会話していたことさえあまり意識していなかった。マリアラが普通じゃなかったし、ぐすぐす泣いていたし、同い年の少女と言うよりなんだか子供みたいだったし。
でも、詰所の扉を開いてすぐ、我に返ったのだ。
詰所には常時、百人近いマヌエルが詰めている。
真夜中を過ぎていた。待機のマヌエルたちは大半が眠っていたが、もちろんまだ起きている人たちもいた。その人たちは殆ど皆ラセミスタを知っていて、人嫌いの引きこもりがこんなところにやって来た異変に興味津々と言った視線を投げてくる。その中をヒルデを探して歩かなければならない。ヒルデはラクエルたちのまとめ役のような立場にいる二人の、左巻きの方だ。ダニエルの〈親〉に当たる。頼めばきっと助けてくれる、はずだ。
それを信じて歩きながら、何度も何度も、窒息の危機に見舞われた。何を思い上がっていたのだと自分を罵倒しながら、人々の視線をかき分けるようによろめき歩いた。自分こそ、マリアラなんて目じゃないほどの“ダメな子”のくせに――知らない人と話すなんて、初めての場所に乗り込んで行って大勢の中から顔と名前だけ知ってる人を探し出すなんて、そんなことが本当に、自分にできると思ったのか。バカめ。“人食い鬼”が罵る声が聞こえる。誰かを助けるだけの力が自分にあるなんて信じたのか。誰かに助けられたがっているのは自分のくせに。バカめ。バカめ。バカめ――
無理だ。そんな大それたことが、あたしなんかに、できるわけない。
でもできなかったら、マリアラに奇跡は起こらない。
ようやく見つけたとき、ヒルデはまだ起きていたけれど、ラセミスタを見て目を丸くしていた。しかし、ラセミスタの方はそんなこと、気にする余裕もなかった。緊張して緊張して、吐き気がする。呼吸は既にか細く息も絶え絶えといった有様だ。毛穴という毛穴から血が噴き出し頭が破裂しそうな気がする。いくらダニエルの〈親〉だと言っても、ラセミスタにとっては殆ど知らない人だ。
「まあ……ラセミスタ、どうしたの? こんな時間に……あたしになにか、用事……?」
「あの、あの、あの……助けて、欲しいんです。お願いします、あの」
周囲の人々が興味津々で聞き耳を立てている。ヒルデの相棒、ランドもだ。それに気づいたヒルデはラセミスタを連れて、個室に入った。四方八方から突き刺さる視線が遮断され、ヒルデの左手がそっとラセミスタの背を撫でて、吐き気が少し軽くなる。
「どうしたの? ゆっくりでいいのよ、話して頂戴」
「だ、だ、だだダニエルには内緒で……もちろんら、ララにも、フェルドにも、ほほ他の、他の、ほか」
「ええ、他の人には内緒なのね。いいわ。わかった。内緒にするから」
「お願い。魔力回復剤を、作ってもらえませんか。医局には行けないの、だから……」
「ええ、いいわよ」
頷かれて、ラセミスタは驚いた。「い、いん、ですか?」
「もちろんいいわよ。今みたいなお願いを無碍に断れる人間なんているもんですか。少し待って。回復に使える時間はあと何時間?」
「八……七……七時間、くらい」
「今起きてる?」
「寝てる」
「じゃあ錠剤にしてあげるから、待ってて。起こすよりは、口の中に入れてあげた方がいいと思うわ。健康な若い子の回復――四粒で、いけるかな。必要量を摂取するために結構時間がかかるのね、その間あなたは眠れないけれど、大丈夫?」
「ええ、ええ、大丈夫」
ありがたい。ヒルデはわけを聞こうともしなかった。彼女が薬を作る間にラセミスタは少しずつ落ち着いてきた。安心して、崩れるようにその場に座り込む。
「さ、できた」
優しい声に、我に返った。ヒルデはラセミスタの手のひらに、小さなビニールパックをくれた。若草色の小さな錠剤が四粒入っている。
「小さく見えるけど、全部吸収するのに三十分見て欲しいの。一度に入れたらダメなの。だから、一粒口に入れて、三十分待って、次のを入れる。これから二時間……じゃないか、一時間半、あなたは起きてなきゃいけないけれど……」
「それは、大丈夫。ああ、ああ、良かった。ありがとうございます」
ラセミスタは頭を下げた。ヒルデは、ふふふ、と笑った。
「どういたしまして。誰にも秘密でって言っていたけれど……マリアラ自身にも秘密なの?」
ラセミスタは思わず顔を上げた。ヒルデの顔をまともに見てしまった。彼女はとても優しそうな顔立ちをしていた。内面が外側に滲み出るような笑顔だった。
「あたし、マリアラって、言いました……?」
「言わなくてもわかるわよ。ルームメイトでしょ。その薬が効いたら明日の朝私は彼女に会うけど、知らん顔した方がいいの?」
「は……い。お願いします」
「どうして?」
ラセミスタは俯いた。言葉を探す。探す。探す。
それから、やっと囁いた。
「あのね。奇跡が起きたらいいなって、思うんです」
「奇跡」
「うん。今日、あの子は、酷い目に遭ったんです。魔力が弱いことで、侮辱されて、後に引けなくて……魔力の強い子と張り合って、薬を作る競争をするハメになったの。それで、それで、――勝ったんです」
出し抜けに腕が伸びてきた。ぐっと左腕を掴まれて、ラセミスタは顔を上げた。
ヒルデが目を丸くしている。「勝ったの?」
「うん、そう。ダニエルからいつも聞いてた、あの子はすごいって、薬の作り方を勉強して研究して自分に一番合ったやり方を探して探して探して――それですごくたくさん作れるようになったんだって、聞いてはいたけど、でも今日、それが証明されたの。四ツ葉のジェシカに勝った! 負けなかったんじゃないの、勝ったの!」
「……すごいわね」
「そう、すごいの! すごいと思うの、なのに……すごいのに、なのに、倒れてしまって、泣いてたの。わたしがバカだったんだって。明日、までに、何とか回復するから、誰にも言わないでって。そんな奇跡が起こるわけないのに、起こるわけないって自分でもわかってるのに、でも、その一縷の望みに、縋るしかなくて……あたしその気持ちすごくわかるから」
「……」
「どんなにすごくても、すごいことを成し遂げても、馬鹿にしようって待ち構えてる人はいるの。いくら魔法道具を作っても、でもあの子には友達がいない、人付き合いができない欠陥品なんだって、そう、そう、そういう、全然関係ない弱点を、あげつらってくる人はいるの。マリアラは今日とても頑張った。でもそれは、あの子の本業じゃなかった。本業は明日でしょう、明日に支障が残ったら、それだけで今日のあの子の戦いが、全部台無しになってしまう。そうでしょう、だから、だから奇跡を、起こしてあげたい。頑張ったことが、報われて欲しい。魔力が弱い子が強い子並の働きをして、明日も普通に動けたら――奇跡が、起こったら――それが、それが、その、これからも弱いってことで差別されてしまったとき、それが救いになったらいいなって思うの。奇跡が起こったってことが……神様とかそういう存在に、見捨てられなかった、助けてもらえたことがあったんだ、ってことが」
何を言ってるんだ。我ながら意味がわからない。
伝わったとは思えないが、ヒルデは優しくラセミスタの肩を撫でた。
「そう。わかったわ。私の意見はあなたとは違うけれど……あなたがそう言うなら、マリアラには私からは、何も言わないでおくわね」
ヒルデは詰所の外まで送ってくれた。
ラセミスタは何度も頭を下げてから、転がるように走って帰った。
出勤時間まであと七時間くらいある。ヒルデの作ってくれた魔力回復剤があれば、きっと全部、うまく行くはずだ。

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